國立故宮博物院 National Palace Museum (New window)
::: *サイトマップ │ 中 文 │ English │ 日本語
    :::
* 展覧の概要
   
* 康煕泥金写本「蔵文龍蔵経」
   
* 乾隆朝満、蔵文「大蔵経」
   
* ホーム
 
 
:::
タイトル:康煕泥金写本「蔵文龍蔵経」
清 康煕 泥金写本「蔵文龍蔵経」 (New window)   清 康煕 泥金写本「蔵文龍蔵経」

「龍蔵経」の正式名称は泥金写本「蔵文龍蔵経」であり、清聖祖康煕帝の祖母である孝荘太皇太后の博爾済吉特氏・布木布泰の命によって作られた。全部で一〇八函あり、特製の磁青紙にチベット語の経文が金泥で書かれている。上下の経板には七百五十六尊の諸仏が彩色で描かれているほか、各種宝石が鏤められており、黄、赤、緑、青、白の五色の経簾で保護されている。実物を計測すると、各函の大きさは縦33cm、横87.5cm、厚さは300~500余葉、重さは約50kg余り。各函には収納に用いる絹や木綿などを素材とした包み、五色の経縄、及び経函を守る一番外側の経衣を備えている。

満文の「総管内務府档案」の記載によると、「龍蔵経」は発起から完成まで、孝荘太皇太后が心血を傾注し、わずか十四歳の孫-康煕帝の支持を得て、衆議を排し、人力・財務・物資など各面における障害と困難を突破し、さらには故郷モンゴル・ホルチン部の支援を受けて、二年の歳月を費やし、清康煕八年(1669)にこの巨作を完成させた。当時、製作に携わった者は僧班と俗班の両班に分けられ、写経を担当する僧班は計百七十一人のラマ僧、俗班は必要物資の調達、写経者の飲食や生活、安全などを担当し、人数は不詳。これらはすべて内務府が統括して管理していた。康煕六年十月二十七日、内大臣の米思翰らによる「預估抄造甘珠爾経応用金粉数目奏本」の記載には、「一〇八枚の上経版は、各枚五元の飛金で計五百四十元。経葉は五万三百枚で、各枚銀九両七銭として計銀三十七万一千一百七十五両五銭。経板の七百五十六尊の仏像は、金粉一千七百八十二両が必要」とあり、巨額が投じられたことがうかがえる。「飛金」とは極めて薄い金箔のことであり、写経が行われた期間中は北方の飛金が使い尽くされてしまったため、南方から調達された。また、装丁用の経簾と包みは江寧、蘇州、杭州の織造(皇室の衣料を掌理した官職名)に作らせた。飛金が高価であったため、実際の写経の前にまず白い紙に下書きした。下書きの期間中、ラマ僧には一日一食と二回の休憩が与えられ、写経期間中は一日二食と三回の休憩が与えられた。僧班に充分な食事と休憩を与え、ゆっくりと写経させることで「龍蔵経」の質を確保したことがうかがえる。その実物が示すとおり、一〇八函、計五百余万葉の経文は、泥金の色は豊かであり、チベット文字も端正に書かれ、描かれた仏像も華麗で荘厳であり、装丁は精美を極め、皇室の堂々たる気風に富んでいる。