:::
文字サイズ設定:

康熙大帝と太陽王ルイ十四世

康熙帝は名を玄燁と言い、1654年に生まれ、1722年末に死去。一方、太陽王ルイ十四世は1638年に生まれ、1715年秋に没し、康熙帝より年長であり長寿でした。二人の君王はそれぞれユーラシア大陸の東西両端にいて、ほぼ同時に輝かしい偉業を打ち立てています。その一度も顔を合わせたことのない二人に、実は驚くべき相似点が見られます。

まず、二人の君王はどちらも幼くして即位しています。ルイ十四世が即したのはわずか六歳の時であり、康熙帝も八歳で即位しました。ルイ十四世は母后アンヌが摂政となり、康熙帝は祖母の孝荘太皇太后の政治を司りました。このため、ルイ十四世は親政を始めるまではマザラン枢機卿が国政を執り、康熙帝も初期のころはほぼ鰲拝(オボイ)が朝政の全権を握っていました。

ルイ十四世と康熙帝はそれぞれ母后と太皇太后の細やかな指導の下で、完全な君王教育を受けることになり、どちらも馬術と弓術に長けていたほか、多言語に通じていました。例えばルイ十四世の主な使用言語はフランス語でしたが、流暢なイタリア語とスペイン語を操り、基本的なラテン語を理解していました。一方、康熙帝は満州語に精通し、漢文と漢学のしっかりとした基礎を身に付けていました。

二人の君王は親政を開始すると日夜政務を怠らず国政に励み、文治武功ともに名を馳せるようになりました。このほか、どちらも科学を提唱し、芸術を愛し、更には庭園の造形美に傾倒した点も似ています。ルイ十四世はヴェルサイユ宮殿を拡張し、きらびやかで華麗な鏡の間や豪華な庭園を造らせ、ヴェルサイユ宮殿が政治の中心地及び文化の発信地となるに至りました。康熙帝は暢春園、避暑山荘、木蘭圍場などを建設し、特に避暑山荘、木蘭囲場はモンゴル王公を抱き込むための政治的な働きも備えていました。

ルイ十四世の在位期間は七十二年、康熙帝も六十一年に達し、前者は近代欧州の専制政治を確立し、後者は康熙年間の盛世を切り開きました。

ルイ14世の肖像 (New window)

ルイ14世の肖像
ピエール・ミニャール(1612-1695)アトリエ作
油絵
縦129cm 横99cm
MV 8539
ヴェルサイユ宮殿トリアノン宮美術館蔵

オーストリアのアンヌ、マリー・テレーズと王子(New window)

オーストリアのアンヌ、マリー・テレーズと王子
シモン・ルナール(1613-1677)
縦137cm 横149cm
油絵
MV 6931
ベルサイユ宮殿美術館トリアノン宮蔵

ヴェルサイユとヴェルサイユ宮殿全景 (New window)

ヴェルサイユとヴェルサイユ宮殿全景
作者不詳
18世紀
縦 52cm 横34cm
版画
Inv. 91.1.4
ランビネ美術館蔵

軍装の康熙帝像 軸 (New window)

軍装の康熙帝像 軸
作者不詳
絹本 着色
縦112.2cm 横71.5cm
故6415
北京故宮博物院蔵

康熙帝南巡図巻(第九巻) (New window)

康熙帝南巡図巻(第九巻)
王翬等画
絹本 着色
縦67.8cm 横2,227.5cm
故6302
北京故宮博物院蔵

御製避暑山荘詩(及び絵図) (New window)

御製避暑山荘詩(及び絵図)
清聖祖敕撰
清康熙51年(1712)武英殿刊朱墨套印本
縦19.4cm 横12.5cm(図 縦28cm 横29.4cm)
故殿029529
国立故宮博物院蔵