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元 郭畀 雪竹 巻 (New window)

元 郭畀 雪竹 巻

郭畀(1280-1335)、京口の人(現在の江蘇省鎮江市丹徒区)。字は天錫、号は退思、書画を得意とし、僧侶や道士など、出家者との交遊を好んだ。その山水画には米家(米芾・米友仁)の趣が備わっており、古木や竹石などの絵にも長けていた。どの作品も酒を飲んだ後、酔いにまかせて筆を走らせたもので、その作品は古人に匹敵するものだと自負していた。本作には厳寒の川辺の風景が描かれている。竹林は真っ白な雪で覆われ、荒涼としたもの寂しい冬景色が広がっている。細かく丹念に描写されており、ある種の清新な雰囲気が感じられ、それが筆墨の間に漂っているかのようである。


明 文徴明 独楽園図并書記 巻(New window)

明 文徴明 独楽園図并書記 巻 

文徴明(1470-1559)、江蘇長洲の人、本名は壁、字は徴明、後に字で知られるようになり、字を徴仲に改めた。号は停雲生、衡山。絵画は沈周に師事した。書画ともに優れ、明四大家の一人に数えられる。長命だったこともあり、多数の作品が残されている。

本作には、水辺に建てられた家屋が描かれている。人家の周囲には垣根がめぐらしてあり、その手前に青々とした松の木が枝を茂らせ、家の裏には竹が植えられている。大きな家の中にいる士人が窓にもたれて遠方の山水を眺めている。本作は王蒙の筆法を用いて司馬光が建造した独楽園を描いたものである。晩年(89歳)の作だが、その気力や筆力は盛年時に劣らない。


明 唐寅 琴士図 巻(New window)

明 唐寅 琴士図 巻

唐寅(1470-1523)、江蘇呉県の人。字は伯虎、号は六如居士。才気煥発で自由奔放な人物だった。南京郷試解元となったが、試験での不正事件に連座して投獄され、仕官への道が絶たれてしまった。絵画は周臣に師事し、若くして画名を知られるようになった。山水や人物、花鳥など、いずれにも優れていた。

本作には、松林の中、水辺に腰を下ろして琴をつまびく人物が描かれている。その回りには書籍や硯、筆、青銅製の骨董品などが置いてあり、実に趣深い。さらさらと流れゆくせせらぎの音が琴の音色と美しいハーモニーを奏でているかのようである。画中の人物は楊季静、名は淩、呉の人、父は楊守素、琴を善くして名を知られ、唐寅や文徴明などと交遊があった。唐寅は二度その姿を描いており、本作はその内の一つである。


明 董其昌 煙江畳嶂図 巻(New window)

明 董其昌 煙江畳嶂図 巻

董其昌(1555-1636)、華亭(現在の上海)の人。字は玄宰、号は思白。南北宗論に基づいて作画し、南宗の董源・巨然を正統とした。本作の題は甲寅年(1614)とあり、その10年前(50歳頃)の古い作品であることがわかる。宋代の王詵は「煙江畳嶂図」を描き、蘇軾が題詩を書き入れたが、二作とも残されていない。董其昌はこの失われた作品をしのび、その意に倣って本作を描いた。その時ちょうど秋だったことから、春景を描いた王詵の原作とは異なり、秋景が描かれている。画面を見ると、皴法が多く渲染は少なく、簡潔な線で描かれており、明るく爽やかな作品である。


明人 画準提菩薩 軸(New window)

明人 画準提菩薩 軸

濃紺の地に、うねる波涛の中、大輪の花を咲かせた蓮が描かれている。厳かな面持ちの準提菩薩が蓮の花の上に結跏趺坐している。五葉宝冠をいただく菩薩の胸元は華麗な装飾品で飾られている。眼は三つ、腕は18本あり、それぞれ印を結び器物を持っている。上方には雲に乗って現われた天神二人の姿が見え、下方には蓮を手にした龍王が二人いる。左下角の出家者は準提の法門を修める者であろう。全体に墨のかわりに金を使い、繊細で滑らかな線で描かれている。衣服の模様も丁寧に描いてあり、明代のすばらしい仏教画の一つである。


清 郎世寧 白鶻図 軸(New window)

清 郎世寧(ジュゼッペ・カスティリオーネ) 白鶻図 軸

郎世寧(ジュゼッペ・カスティリオーネ/Giuseppe Castiglione、1688-1766)、イタリア人、19歳でカトリックイエズス会士となり、絵画と建築を学んだ。27歳の時に伝教のため中国を訪れ、清宮廷に仕えた。西洋の画技をもって物象を描写することに長け、その作品には色彩のぼかしや陰影法などが見られる。

本作の白いハヤブサは西洋画の技法によって描かれている。目の部分から白い羽毛に至るまで、いずれにも光と影の変化が見られる。背景の松の木や山、流れ落ちる滝は、伝統的な山水画を得意とする他の画家によるものと思われる。この作品は乾隆16年(1751)に傅恒が進呈したもので、郎世寧62歳の時の作品である。


 

清 丁観鵬 画蓮座文殊像 軸(New window)

清 丁観鵬 画蓮座文殊像 軸

丁観鵬は雍正4年(1726)に宮廷に入り、乾隆時代にしだいに名声を高めていった。乾隆35年(1770)、病のため離職してから後の記録はない。丁観鵬は人物画を得意とし、古典作品の臨模も能くした。洛神賦などの山水人物画のほか、命を受けて宗教画の臨模も行った。

専門家の研究によれば、文殊菩薩を描いた本作は乾隆27年(1762)の作で、乾隆帝が描いた五台山文殊図像と関わりがあると推測される。光背を飾る花やコウモリなどは吉祥を表している。顔と両手は色がぼかされ、光と影によって立体的に表現されており、郎世寧(カスティリオーネ)の西洋画法の影響が見て取れる。