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周の金玉文化

金玉文化は西周貴族の生活様式を表しているほか、その観念や価値観の象徴でもあります。周人にとって玉器は、降神によって神託を授かるために用いたほか、身分や階級を表す礼器でもあり、重要な儀式などで装飾品として身に付け、その高貴な身分を明らかに示すものでもありました。生者にとって玉器はあらゆる美徳の象徴であり、君子の心のありようを示すものでした。死者にとって玉器は魂の精気を高め、昇天を助けてくれるものでした。そのため、周代の遺跡から出土する玉器は種類が非常に多く、必要に応じて使い分けるため一揃いにしたものも見られます。西周の人々は同時代の玉器だけでなく、古い時代の玉器も収集して作り直したり組み直したりしました。こうして玉器はより豊かなものになっていったのです。身分の高い男性貴族は様々な金器も合わせて用い、礼服や腰帯にあしらって、貴族の尊い身分をより一層強調しました。展示品の中にある芮公が身に付けた金製の装飾品は、周代黄金製品の鋳造技術の高さを充分に示しており、その見事な出来栄えに感歎せずにはいられません。

  • 玉石器の製作

    基本的に玉器と石器の製作方法は同じです。まず材料をおおまかに成形してから彫刻し、つやが出るまで磨き上げれば出来上がりです。主に片具や線具、砣具、桯具、管具と言われる工具を用いました。一般的な金属用工具では硬さが足りないため、硬度の高い顆粒状の鉱物(解玉砂)を研磨の媒介として使いました。これを工具に付着させると効率よく作業できました。

  • 玉器のデザインと様式の発展

    西周の玉器の多くがひもに通して組まれたもので、身に付ける人物の高貴な身分を表していました。その造形の多くが面状で、流線形の滑らかなデザインになっています。早期は殷(商)代晩期の荘重な雰囲気を継承していましたが、中期になるとより華やかなものになりました。西周晩期から春秋早期にかけて徐々に簡略化され、素朴な様式へと変わっていきました。

  • 芮公大墓M27

    陜西省韓城市梁帶村は陜西省東部に位置し、黄河を隔てて山西省と対峙しています。西周から東周時代にかけては、政治や経済、文化が盛んだった地です。芮国貴族の墓地もここにあります。現在、西周から春秋時代の墓所が計1300ほど確認されています。その中では「芮公大墓M27」が最も身分の高い人物の墓です。こちらの展示コーナーでは、「芮公大墓M27」内に納められていた棺の状態を再現してあります。出土位置、各種玉器と金器の使用目的、身に付け方などのほか、墓所から出土した玉器に様々な時代の様式が見られる点についてもご説明します

  • 伝世の古玉

    周人が所有していた玉器は、代々受け継がれたもののほか、贈答品や物々交換、売買、戦争での略奪など、その来歴は実に様々です。古代玉器の一部は貴族のコレクションとなりましたが、見た目が特定の用途にふさわしかったことから、新たな生命を吹き込まれたものもあります。残りは本来の用途でそのまま使われました。

  • 古玉のリフォーム

    西周中期になると、早期の玉器を作り変えて別の用途に使うようになり、このやり方が西周晩期から春秋早期にかけて一般的になりました。当時の玉材不足が原因の一つだったと思われるほか、旧作がその時代の好みに合わなかったこともあるでしょう。新たに生まれた観念に合わせるためだったとも考えられます。

玉虎一対(New Window) 四璜組玉佩(New Window) 人龍玉飾(New Window) 嵌金玉韘組飾(New Window) 左右脚踏玉(New Window) 玉剣と金剣鞘(New Window) 金肩飾(New Window)龍紋金環(New Window) 盾形金飾(New Window)