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清代の皇室は仏教を篤信し、康煕帝・乾隆帝期には前後してチベット語の「甘珠爾」と満州語の「大蔵経」の伝写及び印刷が行われ、雍正帝期には更に『御選語録』と『御録経海一滴』が編集されました。宮殿や楼閣ではよく仏経の講会と礼仏の祭祀が行われ、離宮内院にも数多くの仏画と経書が収蔵され、そして陳列されていました。以前の宮中収蔵品であったこれらの精緻で華麗な仏経と仏画は、現在は公有収蔵品になっています。今回は珍本仏経と仏画を展示し、参観者にその宝蔵の一部分を鑑賞していただきます。
仏経展示の部分では、宋‧元時代(960-1368)の刊刻物、及び著名書家・仏教徒が書写した大乘経典である『金剛経』が含まれ、その文字内容は簡潔で要領を得ており、充分に大乗仏教の般若思想が展開され、広く世に伝わりました。出版印刷が既に簡易になった宋・元時代でも、多くの書家が自ら仏経を書き写すことを願い、敬虔心を示しました。更に、仏像図絵は諸仏菩薩の三種の仏身(法身・応身・報身)の造形を示したもので、巻を開く時は目が眩むと言われ、特に、明代(1368-1644)の彩色密教経典はその精緻の代表とされています。『華厳経』は法界の縁起と何事も円融無碍という思想を闡明し、華厳宗の立名と根拠の経典です。それはインドに起源するとはいえ、後代には中国仏教の重要な宗派の一つになりました。観音経典に至っては、両晋十六国時代(265-439)の観音信仰の形成と密接な関係があり、西晋・太康七年(286)に竺法護が『正法華経』を翻訳し、後秦・弘始八年(406)に鳩摩羅什(350-409頃)が『妙法蓮華経』を翻訳した後、観音信仰での「救苦救難」・「化身無礙」の様相は、世間の信者の心に深く植え付けられ、今日の観音信仰の普遍的概念に成っています。
又、仏画展示の部分では、著名人の筆になる経書、及び護国天王・文殊・観音・羅漢等の人物画が展示されています。主題としての展示には、画家が各種の巧みな構想で書写した経文の外、阿弥陀仏を主に、普賢菩薩・文殊菩薩・観音菩薩と天王仏像などが組み合わされた作品があり、更に、漢族・藏族の異なる造形の羅漢像が展示され、その異なった姿勢は、豊富で趣のある構図を呈現しています。
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