筆・墨・紙・硯(すずり)は俗に「文房の四宝」と言われており、伝統的な中国の知識人が使う四種の文房具である。「四宝」はそれぞれ材質が異なるが、今日まで最も多く保存されているのは硯である。硯材は玉、石、陶磁器や漆などがあるけれど、石硯が最も多く見られる。
石硯の出現は戦国時代(紀元前5世紀~前3世紀)にさかのぼることができる。今日一般的に見られる著名な硯は広東省の端硯(タンケン)・安徽省の歙硯(キュウケン)・山東省の紅絲硯(コウシケン)と甘粛省の?河硯などであり、松花石硯はほとんど注目を浴びていない。松花石硯の石材は東北の吉林省と遼寧省の本渓に産出する。吉林省産出の石材は全体に横縞のある緑色をしており、遼寧省産出のものは紫と緑の交互にまじったもので、または黄色に緑が混じり、或いは紫色を呈する。現在に伝わる硯の中には、その全体の外側に横縞のある黄色の石硯があるが、その石材も中国東北の産出だと考えられ、松花石と見なされている。これらの松花石材は吉林省のものが最上級であり、端硯や歙硯に匹敵する。
東北の産地では清朝(一六四四~一九一二)建国前、人たちが松花石材で砥石を造っていた。清の聖祖康煕皇帝(在位一六六二~一七二二)のただ一人、その石の優れた特質に目を付け、在位の中頃(十七世紀末)に硯材としての使い道を明確にした。こうして清の宮中では、松花石の硯や硯箱が大量に作られるようになった。
康煕皇帝(在位一六六二~一七二二)、雍正皇帝(在位一七二三~一七三四)、乾隆皇帝(在位一七三五~一七九五)の三代に清王朝が最盛期を迎え、松花石硯や松花石の硯箱が盛んに作られ、時代にそれぞれ独特な芸術的な趣を呈した。松花石硯は、その石材が清朝の興った土地から産出したため、ついに清の皇帝が大臣たちを手なずける手立てや外国との誼を深めるための贈り物に使われるようになったわけである。
康煕年間の松花石硯芸術風格
康煕年間、松花石硯で見られる創作時代を表す款は、「康煕年製」の四字であり、彫られた璽印は「體元主人」「萬幾餘暇」「康煕宸翰」「御銘」などである。また硯銘は「以静為用、是以永年」・「壽古而質潤、色緑而声清、起墨益毫、故其寶也」などが見られる。時には特定の人への贈り物として、特殊な硯銘を彫った。
康煕帝の頃の松花石硯と硯箱には、よく古代の紋様をまねて彫られた紋様が見られ、ふたの上に魚の化石やガラスをはめ込んだり、時には硯池の中に貝殻をはめ込んだりした。硯の形は、変化に富んでいる。長方形・円形・楕円形・八角形や古字の「風」を形取った整然としたものもあれば、不規則な竹の子の形や、魚の形、辛夷(こぶし)の花の形、ハマグリの形、石のそのまま天然の形などもある。
雍正年間の松花石硯芸術風格
雍正皇帝の時代の松花石硯には多彩な形が考案され、竹節形の硯と同時に如意式の硯も創作された。また、今までの長方形・楕円形のほかに、ひょうたんの形や二つの円を交差させた形なども見られる。硯池の周りや硯池の中、硯のまわりや蓋の表面などに、吉祥を象徴する花の紋様が彫られ、蓋の装飾ともなっている吉祥語意のほとんどが成句になるように組まれている。例えば「福寿萬年」「年年如意」「萬代福」などがそうである。それに、この時期に使われている硯に彫られている文字や款は、「雍正年製」の四字も多く見られる。硯の銘文も前朝と同じく「寿古而質潤、色緑而声清、起墨益毫、故其寶也」と「以静為用、是以永年」などがあり、後者が一般的に用いられている。
乾隆年間の松花石硯芸術風格
乾隆年間の松花石硯に見られる銘文は「出天漢、勝玉英、琢為研、純粋精、敕幾?藻、屡省城」で、この後に、「乾隆御玩」の字が続くものが多い。硯に彫られてある璽印は、「永寶用之」・「幾暇怡情」などがあり、他にも十数種の文意の異なる璽印がある。この頃の硯は装飾性にはあまり重点をおかず、その代わりに形式は特殊な硯池が彫られている。如意館の画家も松花石硯の花の紋様の設計に参与したため、硯箱の蓋の絵は当時の画院のものと風格が一致しており、特に花卉の紋様は、各蓋の一枚一枚に清朝の画院で描かれた「花卉冊頁」を再現しているかのようである。