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総解説
18世紀台湾原住民分布図
18世紀台湾原住民の画像
巡行実記:清代台湾原住民関連文献
レンズから見た人生:フォルモサにやって来た西方の写真家"
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総解説
清朝は少数民族として中原に入り支配者となったが、その民族政策は歴代の中国王朝よりも際立って完全で成熟したものであった。清朝の統治集団は満洲族の文化を守り続ける一方で、同様に台湾原住民の各部族に対しても注意を怠らなかった。康煕帝は閩浙総督、福建巡撫などの官員に命じて、才能と技術のある原住民や、台湾の特産物を北京に送り届けさせて献上させた。また台湾本土の作物を中国内地に導入して試験的に育て、一方で宮廷の西瓜の種を送り届け、台湾において栽培させたのである。こうした大陸─台湾間の交流は皆、正黄旗所属の閩浙総督であった覚羅満保(1673-1725)の満文硃批奏摺の中に見出すことができる。また、清朝は漢民族の移民が激増している状況に鑑みて、康煕、雍正、乾隆の時期において漢民族の入山開墾を厳禁し、原住民専用の居住地を画定して保有させた。この山地開発の禁令はその後も継続され、清末に牡丹社事件が発生したときにはじめて解かれることとなった。乾隆15-16年(1750-1751)に、高宗乾隆帝は各地の地方大官に命じて、それぞれ自分の管轄地区内にある少数民族と外国人の絵像を描かせ、公文書に添付し進呈させた。これは一つの大規模な民族調査活動であり、現在も大量の資料が残されている。その中には13枚の台湾原住民の画像も含まれているが、乾隆帝はこれを書籍として編纂し、また絵画にもしており、今に至るまで本博物院にて大切に保存しているのである。

このように、本博物院は豊富な原住民の史料を保存しており、それらを詳細に読解すると、清代における台湾の自然環境、部族分布、風俗習慣、産物、衣食、教育、宗教、争乱、並びに清代早期の山禁政策とその後の解禁、原住民の教化政策などについて深い理解を得ることができる。「本院所蔵台湾原住民文献展」は地図、画像、版画及び原住民関連の文献や版画などにより、18、19世紀の台湾原住民の姿を現しているのである。