國立故宮博物院 National Palace Museum
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東北地域の祭壇と積石塚に眠る玉の精、物の霊
紅山文化晚期 玉豬龍(open new window)
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紅山文化晚期 玉豬龍
七、八千年前、燕山以北、遼河以西には興隆窪文化が分布し、人々は玉の耳飾りをする風習があったほか、玉や石で道具や女神像を作っていました。

五、六千年前の紅山文化は、最盛期の頃には神殿を建設し、巨大な彩色を施した女神像を祀ったほか、円形の祭壇と方形の積石塚を築きました。美しい玉で様々な動物を彫刻しており、あるものは胎児の形、あるものは強調された鳥のくちばしや獣の牙の形、中には迫力のある渦巻眼もあります。人・鳥・獣を一体化した不思議な姿は、当時の人々が玉の精と物の霊を通じ、神に加護を求めた宗教的精神の象徴を意味するものなのでしょう。
 
黄河下流-鳥を崇める氏族
五、六千年前、白陶を焼成し、玉の鉞(まさかり)を作る能力を持った大汶口文化が山東地区で発展し、この一帯では真っ黒な透かし彫り陶芸も編み出されました。一方、山東の龍山文化は、北方の燕遼地区で流行していた大きな渦巻眼の玉彫と、江南地区で神の印とされる「介」字型の宝冠を融合し、優雅で奥深い神祖の図像を創造しました。彼らは飛鳥を神の使者として崇め、旋回するラインで面文を描き、更には青銅器時代の「饕餮紋」のひな形を発展させました。長江の中流一帯で丸い耳飾りを身に付ける習慣や牙をむいた図像が描かれたのも、これと関係しているのかもしれません。
大汶口文化晚期 白陶鬶(open new window)
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大汶口文化晚期 白陶鬶
山東龍山文化晚期 人面文圭(open new window)
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山東龍山文化晚期 人面文圭
 
長江下流の祭壇、円璧と方琮で天地と交感する巫師
良渚文化晚期 玉琮(open new window)
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良渚文化晚期 玉琮
六、七千年前、江南地区では既に玉彫が芽生え始め、四、五千年前には最盛期を迎えました。当時、社会は分化し、大権を握る巫師(巫術を行う人)は祭壇上で身分を象徴する玉の鉞(まさかり)を手に持ち、また、後世で言われるように円璧と方琮を用いて天地を拝んだのでしょう。璧と方琮の中には「鳥立祭壇」の符号が浅く彫られているものがあり、玉琮には小眼、大眼の二元面文が彫刻され、このほか、「介」字型の弧を描いた刃を持つ玉刀などもあります。これらはすべて崇高な礼器とされていました。