| 「君子徳を玉に比する」との観念は、新石器時代に既に定着し、東周秦漢の時に成熟しました。貴族の男性或いは女性の身分を代表する瑞器と装身具、生前の愛玩物或いは死後の副葬品など、玉の徳と美しさは常に徳と並んで貴族の世界に存在していました。こうして玉を崇める中国民族特有の文化が形成されていきました。商周時代の玉器は機能別に礼器、装飾器、副葬器などに分けることができます。
玉の礼器には璧、琮、圭、璋、柄形器などがあります。一方、玉で作られた兵器のうち、戚、斧、鉞、および戈もまた、平首圭と尖首圭の瑞器のように貴族の身分を表すものでした。このため、戈と璧、鉞と璧の組み合わせによる「圭璧」の形式で出土することも多々あります。
装飾器でよく見られるものに「璜組玉佩」(玉璜を主体に管珠をつなぎ合わせたもの)、「梯形玉佩」(梯形の玉飾りに玉珠、蛹、戈など)や、単品の龍鳳文や人面文、各種動物紋が施された装身具などがあります。当時、貴族の間では身分と地位を象徴するセットになった玉佩を身に付けることが流行していました。これが文献の記載に見られる「徳佩」です。
副葬器の綴玉覆面は、漢代における死者の玉衣の始まりとされています。このほか、玉魚や玉蚕などは数珠繋ぎにして副葬したり、琀玉(死者の口に含ませる玉)として用いられたりしました。人々はこの世に別れを告げた後も、玉を愛し続ける心を存分に表していたのです。
金文の記載に依ると、玉は主に下賜、冊立、贄見(礼物をたずさえて訪問)、儐礼(賓客への礼物)および祭祀に用いられていました。県妀簋の「祼戈(圭)玉璜」、頌鼎と史頌簋の「佩」と「璋」、および毛公鼎の「祼圭瓚宝・玉環・玉瑹」などから、「礼云玉帛」、「君子比徳」の玉を重んじた貴族の礼制を伺うことができます。
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