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乾隆帝が「ヒンドゥスタン玉器」を激賞したことから、新疆地区のイスラム玉器の価格が高騰し、新疆駐在の官吏が献上したほか、中央の官員も「ヒンドゥスタン様式」の玉器を次々に献上しました。乾隆年間末期の玉器市場では「イスラム風」が流行していたことがわかります。
資料によると、乾隆四十三年にはすでに中国江南の玉職人が回部のヤルカンドに工房を持っていました。清宮廷の新疆駐在官吏から「ヒンドゥスタン玉器」の製作依頼を受けたほか、製品を中国で販売することもできました。江南の玉職人のほかにウィグル族の職人も贋作作りの列に加わっていたかもしれませんが、その多くが厚ぼったく、研磨も粗雑なものでした。
展示されている瓜瓣杯はインド玉器を模造した贋作で、全体のバランスが悪いだけでなく、羊の首部分の内壁と外壁にぎこちなく不自然な線が見られます。茄子型の杯とびっしり彫刻が施された円盤は、トルコの玉器を模造した贋作で、前者は「豆のさや型の器底」、後者は「浅柄彫」を模倣していますが、花びらのへこみがうまく作られていません。
しかし、乾隆帝は新疆から献上された玉器の中に贋作がまぎれこんでいることに気づきませんでした。そのため贋作者はどんどん大胆になり、双柄に中国のスタイルである「活環(輪飾り)」までつけるようになりました。
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新疆回部 羊頭瓜瓣杯
長13.1 幅8.6 高4.7cm
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新疆回部 花式双柄香薫
幅20.3 高8.5cm
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