這是一個動態圖片"傳移模寫 The Tradition of Re-Presenting Art: Originality and Reproduction in Chinese Painting and Calligraphy"
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明 仇英 漢宮春暁図
清 冷枚 仿仇英漢宮春暁図
明 仇英 漢宮春暁図(open new window)
清 冷枚 仿仇英漢宮春暁図(open new window)
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仇英(1494-1552頃)、江蘇太倉の人、字は実父、幼少時に蘇州に移り住んだ。周臣に画を学び、文徴明の紹介により、前後して収蔵家の項元汴と長洲人の陳官家のもとで作画に励んだ。項家で宋、元代の名画を見る機会を得て更に画芸が磨かれた。明代四大家の一人として称えられる。
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冷牧(康煕時代の内廷にて任官)、山東膠州の人。康煕年間に内廷にて任官、康煕42~56年の間に描かれた作品があり、人物、写真画を得意とした。本幅は康煕42年(1703)に命を受け、仇英の同名作品を模したものであるが、単なる模写の域に留まることなく、自己の意をもっての模写であり、用筆は力強く着色も鮮やかで美しい。 

「漢宮春暁」は、春の朝日に映える漢代宮廷を主題に、後宮のさまざまな美しい情景を描写したものである。故宮博物院ではこの模写作品を多数所蔵しており、伝移模写の多さが見て取れる。そのうちの一幕では画師が画架に画布(絹)を張り、皇宮内の皇后に向かってその肖像を描いている。これは或いは画師・毛延寿が王昭君の肖像を描いたという有名な故事を暗に示しているのかもしれない。皇后の肖像画には半身像が描かれている。この半身像が定稿となれば、宋高宗后の半身像のようになる。まるで映画の「定装照(衣装合わせをして宣伝用の写真を撮ること)」ように、この「定装照」が再度転写されて「宋高宗后坐像」の全身像となったのである。本院所蔵の歴代皇后像の中には半身像と全身像が一致する作品が非常に多い。それら幾幅かの画を続けてみると、肖像画における「伝移模写」の過程が見て取れる。



宋代帝后半身像(第九幅)宋高宗皇后
宋高宗皇后坐像
宋代帝后半身像(第九幅)宋高宗皇后(open new window)
宋高宗皇后坐像(open new window)

宋高宗には2人の皇后がいた。本幅に描かれているのは呉皇后である。呉皇后、開封の人。14歳で入宮し、数年で新興郡夫人に封ぜられた。呉皇后は読書家で教養高く書法も優れ、高宗の深い寵愛を受けた。

皇后は九龍花釵冠、環佩を身に付けており、宝飾が顔を覆っている。深い青の衣装は対雉十二行に朱色の羅縠、龍の文様で飾られている。これは皇后の大礼服で、冊封を受ける際や景霊宮での朝謁、朝会などの重要な典礼で身に付けた。

画には着色が施され、赤と青の対比が鮮麗の極みである。両幅にはほとんど違いがなく、伝移の妙が見て取れる。



明 仇英 東林図
明 仇英 園居図王寵題
明 仇英 東林図(open new window)
明 仇英 園居図王寵題(open new window)
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「東林図」の款署は「東林先生」、明代は「東林」を号としていた。同時代に賈錠(1448‐1523)がいる。両作の構図や人物の配置に違いはない。「東林図」は絹本に描かれており、吸水性が低く色彩がより鮮やかである。岩石の描き方を見ると、筆にたっぷりと墨を浸した斧劈皴法を用いている。これは紙本の「園居図」にはない。両作がそれぞれ仇英の作であることに疑いの余地はない。落款には確かに違いが見て取れるが、これは仇英が書法に優れていなかったので、落款は代筆であったとの説がある。現在見られる仇英の画蹟上の名款には、楷書、隷書など多種類の書き方がある。「東林図」は文嘉(1500‐1583)、「園居図」は文彭(1498‐1573)の手による。
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「園居図王寵題」は、明代正徳4年(1509)、王献臣(字は敬止)が故郷の蘇州に建設した「拙政園」の風景を描いている。1532年、青年詩人・王寵(1494‐1533)が王献臣のために作った「園居詩」二首を本幅拖尾に題し、「倩仇実甫画史為小巻」と書き添えてある。実は「園居図」は二本ある。もう一本は清代・陸時化(1714‐1779)の「呉越所見書画禄」に記録がある。故宮博物院所蔵の「園居図」に見られる主要建築物の屋根には描き損じがあり、おそらくそのためにもう一方の作(陸氏呉越本)を描いたが、こちらの一本が現代にまで伝えられたのであろう。

画家は本来一つの作品を描くために多作する。理由はそれぞれであるが、明代の仇英がその最もよい例である。仇英はもともと職業画家であったので、生活のために求められればそれに応じたのかもしれない。



元 楊維禎 晩節堂詩(元人法書冊 3)
伝 元 楊維禎 晩節堂詩(元人翰墨冊 8)
元 楊維禎 晩節堂詩(元人法書冊 3)(open new window)
伝 元 楊維禎 晩節堂詩(元人翰墨冊 8)(open new window)
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楊維禎の「晩節堂詩」は二点ある(元人法書冊3、元人瀚墨冊8)。楊維禎の書風は激しい乱世の気風がある。本幅は66歳の時の書で、この頃は松江に定住して数年、書斎で友人や門下生たちときき酒を楽しみ、新しい筆やよい墨を試し、書画を鑑賞した。詩は奎章より賜った墨で書いてあり、墨色が特別に黒く、確かに違いがある。また、舞い飛ぶが如き筆さばきであるにもかかわらず、熟達した落ち着きの深さが感じられる。
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模本「元人瀚墨冊8」の作は、字幅がやや小さく、点画の間は同じであるが、運筆には原作のような滑らかさがない。

楊維禎(1296‐1370)、字は廉夫、号は鉄崖、鉄笛を得意としたので後に号を鉄笛道人とした。または抱遺老人、浙江会稽の人。元代泰定年間に天台尹を務め、「遼金宋三史」の編纂にも携わった。文も詩も善くし、抜きん出た才を示した。書画にも優れ、当時は右に出る者がなく、その書は「鉄崖体」と称された。



元 陸継善 模褉帖(前四開)
唐 馮承素 摹蘭亭序 蘭亭八柱帖 第三冊(艮冊)
元 陸継善 模褉帖(前四開)(open new window)
対照図(open new window)
唐 褚遂良 蘭亭八柱帖第二冊(坎冊)(open new window)
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陸継善(14世紀後期に活躍)、江蘇甫里の人。字は継之、号は玄素。趙孟頫の側にいて双鉤填廓法を学んだ。

模写の方法の一つに「双鉤填墨」がある。透けやすい紙を書にのせ、まず細筆で輪郭線を書き出し、そこを墨で埋める。「双鉤廓填」とも称する。

本幅は、陸継善が河北の鼠毫筆を用い、兄所蔵の唐人の手による模写「蘭亭序」を「双鉤填墨」により写している。

 
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