| 清代においては、いかなる読書人であろうと秀才となった人物の前では、年齢に関係なく「童生」と称されました。「童生」は、県試、府試、院試を通過してから秀才となれ、これらが科挙の第一関門でした。秀才になれた後は、学政の科考(録科)を通過してからようやく三年に一度行われる郷試に参加する資格が得られました。郷試は通常八月に行われたため、「秋闈」と称されました。郷試を通過すると挙人となり、都に赴いて会試を受ける資格が得られました。会試は三年に一度行われ、通常は郷試後の二年目の春に行われ、会試を通過した者を「貢士」と称しました。会試の後はすぐに殿試となり、殿試では順位が決められ、参加者は全て「金榜題名」となりましたが、試験の成績順位が将来の仕官に大きく影響しました。清代の制度では、文、武殿試ともに三甲に分けて順位付けされ、一甲は進士及第を賜り、二甲は進士出身を賜り、三甲は同進士出身を賜りました。
故宮博物院所蔵の清代档案(公文書)には、科挙に関する史料が多数含まれています。この度の展示では、生員試巻(試験用紙)、郷試考題(郷試の試験問題)、題名録(合格者名簿)、掲暁榜(合格発表記録)、謝恩摺(感謝状)などを展示いたします。
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山西学政謝恩摺 |
| 為臣子劉復得中第四十二名進士恭謝天恩摺 |
| 雍正2年9月17日奏 |
硃批: |
尚未殿試、朕亦不知是你児子、覧奏朕亦甚喜。再奏地方事宜一摺甚好、朕留中細覧。 |
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| 縦20cm 横50cm |
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