蔵書の由来
清代は康煕、雍正、乾隆にかけて、全国から善本典籍を収集しました。乾隆9年(1744)、高宗は、内廷翰林に宮中の旧蔵図書を点検し、善本を選んで皇帝に進呈して、東の「昭仁殿」にまとめて陳列するようにと命じました。昭仁殿は皇家の善本蔵書室となり、宋、元、明代の貴重な善本転籍が収蔵されました。嘉慶2年(1797)、昭仁殿は火災に遭い、乾隆帝所蔵の「天禄琳瑯」も焼失してしまいました。嘉慶帝は「天禄琳瑯」を再現するため、内臣に命じて御花園と宮中の各殿所蔵の旧刻図書から善本を選び出し、各地から続々と収集された善本を加えて、「天禄琳瑯」の名で内廷皇室蔵書を復活させましたが、かなりの短期間に収集されたため、仿刻本も宮中に持ち込まれてしまいました。嘉慶帝も乾隆帝に倣い、大学士・彭元瑞などに命じて『天禄琳瑯書目後編』を編纂しました。
『御製詩初集』清高宗乾隆御撰 清乾隆内府烏絲欄写本
故殿004271-004296四十四巻 二十六冊 見開きサイズ:39 × 42.5 cm
乾隆帝は清代で最も才能に満ちた君主であった。生涯を通して書いた四万首あまりの詩文は、内容も非常に豊かなものである。『御製詩初集』巻四十四「御製題昭仁殿詩序」には、「宮廷の東にある棟続きの昭仁殿は、皇祖在世時に日々を過ごされた場所である。そこに自分はとても住めない。天禄琳瑯、宋、元の書物を収納して、時折そこを訪ねて今昔に思いをはせたい。」とあり、康煕帝に対する尊敬の念と昭仁殿に「天禄琳瑯」を設立した所以が記されている。
『欽定天禄琳琅書目』 清 于敏中等奉敕編 清乾隆間内府写本
故殿025468-025477十巻 十冊 見開きサイズ:30 × 32 cm
乾隆帝は儒臣の于敏中(1714‐1779)、王際花(1717?‐1776)などに「天禄琳瑯」蔵書の整理を命じ、版本年代をもとに更に「経、史、子、集」四部に分類して、宋、元、明代版の影抄善本とともに収録し、それらはおよそ四百二十九部あった。もし一書に優れた版が複数あり版刻も精巧であれば、『遂初堂書目』を例として配列し、各書の題跋、氏名、収蔵印記などの詳細な記録は『鉄網珊瑚』を例とし、鑑定や収蔵の際の重要な参考資料とした。これは前代の蔵書目録編纂方法と異なり、書画鑑賞の方法に倣ったものである。署名と摘要のほかに「函冊」、「闕補」二項目、蔵書印記の記録もあるかつてないものとなっており、これ以降の蔵書書目はこの方法を踏襲した。本書は『四庫全書』に収録され、四庫全書を編纂した臣下たちは、かつてこれほど幅広く、詳細かつ精確に記録された書目はなく、その学問的価値の高さを賞賛している。
『欽定天録琳琅書目後編』 清 彭元瑞等奉敕編 清嘉慶間内府写本
故殿025478-025487二十巻 十冊 見開きサイズ:29.5 × 30 cm
嘉慶3年(1797)、彭元瑞などが編纂して完成した『天禄琳瑯書目後編』は、『欽定天禄琳瑯書目』の体裁に倣って編纂された。初編の蔵書が火災により焼失しため、現存のいわゆる「天禄琳瑯」蔵書の多くが、火災の後に再編された蔵書であり、その内のほとんどが宋、元代の善本と影抄宋本、代表的な明代刊本で、『天禄初編』よりも豊かな内容となっている。『初編』の善本記録が焼失したため、現在の古籍善本の投資分野においては、『欽定天禄琳瑯書目後編』記載書目が、善本鑑定における大きな依拠となっている。

