セレクション

晋 王羲之 快雪時晴帖

晋 王羲之 快雪時晴帖(New window)

冊 紙本 縱:23cm 橫:14.8cm

王羲之(303-361)、原籍現在の山東省。名門の上流階級に生まれ、西晋末に南へ渡り、浙江会稽に遷居。右軍将軍、会稽内史などを歴任し、東晋永和年間(345-356)に退官した後は東方の名士らとともにひたすら山水を遊び、詩歌、音楽、書法に傾注した。書を学ぶにあたっては当代から古代へとさかのぼり、多くの師について技法を幅広く学んだ。特に書体研究への造詣が深く、秦代の篆書や漢代の隷書など異なる筆法を行草書体中に融合させ、最も優れた書体を完成させた。このため、唐代の人々は彼を「各種書法を融合させ一派を成した万世の宗師」と称えた。

これは行楷書による短い書簡で、前後に署名がされている。大雪の後に友人にしたためたご機嫌伺いの書簡である。明代の鑑賞家である詹景鳳は、筆法は丸みの中に力強さと古雅な味わいがあり、趙孟頫の行書に大きな影響を与えたとしている。用筆は円筆を多用し、運筆はすべて蔵鋒を用い、均整の取れた結体には安定感があり、優美な内に質朴さと落ち着きのある趣を秘めている。乾隆帝は本作を殊に珍重し、「天下無双、古今鮮対」と賞賛した。また、乾隆十一年には本作と王献之の「中秋帖」、王珣の「伯遠帖」を合わせて「三希」と称し、「三希堂」に大切に保管した。本作は一般に唐代の精緻な翻刻本と考えられている。

訳:羲之頓首。快い雪が降り、時には晴れ、あなた様にあっては恙なくお過ごしのことと存じます。さて、お約束の件については力及ばず、お約束を未だ果たしておりません。王羲之頓首。山陰張侯。


晋 王羲之 遠宦帖

晋 王羲之 遠宦帖(New window)

巻 紙本 縦:24.8cm 横:21.5cm

王羲之(303-361)のこの帖は「省別」の二文字から始まっているため「省別帖」とも呼ばれる。本作は文字の輪郭を墨で描いた後、文字の周囲を墨汁で塗りつぶす「墨水廓填本」の手法で作成されている。同手法は古代書法の複製に於いては最も真に迫り「真蹟を下ること一等」と言われている。黄色い絹の隔水には宋徽宗による痩金書の記名と内府の印があり、「宣和書譜」には金章宗の「群玉中秘」、「明昌御覧」印および元、明、清各朝の収蔵印もあったと記されている。内容から益州刺史の周撫(293-365)に宛てられたものと思われ、王羲之が晩年にしたためたものである。この書簡は現存する唐「十七帖」の刻本にも収められているが、線が単調な上、筆書きによる細かい変化を充分に捉えていないため、王羲之の書体を完全に失っており、墨水廓填本による迫真の本作には遠く及ばない。


唐 孫過庭 書譜

唐 孫過庭 書譜(New window)

巻 紙本 縦26.5cm 横900.8cm

この草書で書かれた「書譜」は全長900.8cm、351行、全文約3700字が現存している。唐代の書法理論家でもある書家の孫過庭が垂拱三年(687)に完成させた名作である。

孫過庭は十五の頃から筆墨に心を傾け、書法の世界に数十年も浸り続けた。彼の書はその熟練した技法と優れた天賦の才能により、歴代の評論家から高く評価されている。孫過庭は初学者に役立つ著作を志したものの、生前に完成させることなくこの緒論だけを残した。全文は次の四つの部分から構成される。まず書法の「博渉」と「精工」が各書体に通ずる重要性を強調。次に「書譜」編纂に於ける原則を説明。第三部分では臨学の手本を挙げ、臨書の際は内心の心理的要素を重んじ、外在的な形にとらわれてはならないとし、最後に書法学習の段階、態度および境地について論述している。

本書譜には優美と粗放の二つの異なる筆遣いが見られ、優美な字体は運筆が緩やかで結体が美しく、粗放な字体は素早い運筆で飾り気を帯びない。孫過庭は本作を以て草書の変化の美しさを実際に示したかのようである。


唐 顔真卿 祭姪文稿

唐 顔真卿 祭姪文稿(New window)

巻 紙本 縦28.3cm 横75.5cm

顔真卿(709-785)、山東臨沂の人。李西烈の叛乱の際に命を受けて投降を勧めに向かうが、貞元元年(785)八月三日、敵に屈することなく殉死。後世、「顔魯公」、「顔平原」と尊称された。安史の乱では、魯公の従兄である顔杲卿が常山郡の太守として敵軍を迎え撃ったが、太原節度使が援軍を送らなかったため落城し、顔杲卿とその息子である顔李明を含め、顔一族三十余人が命を落とした。このため、文中には「賊臣不救、孤城圍逼、父陥子死、巣傾卵履(賊臣救わず、孤城は包囲され、父は陥落し、子は死に、巣は傾き、卵は覆った)」とある。その後、魯公は甥の泉明を遣わして遺体を捜索させたが、杲卿の片足と李明の首しか見つからなかった。そこで書きあげたのが「祭姪文稿」であり、顔真卿が五十の時のことである。

書は書き手の人となりがわかるという。魯公一門は忠烈の士であり、生涯を通して凛然と大義を貫いた。その精神は翰墨にも反映され、特に本作は評者が好んで例に取り上げる作品である。全文を通して擦り切れた筆を使い、丸みを帯びた筆法は流れる篆書のようである。かすれた筆を再び墨に浸しているものの、墨色は筆を止めた時にようやく現れるため、濃厚な黒からかすれた灰色までと変化に富んでいるが、終始一気呵成の勢いは失われていない。

本作は草稿であるため、所々塗りつぶされた箇所があり、魯公が文を考えながら書いたことがわかる。全文を通して感情の起伏が見られ、抑えきれない哀しみの情がうかがえる。同書は現存する魯公第一の名蹟であり、「天下行書第二」の誉れを持つ。


唐 懐素 自叙帖

唐 懐素 自叙帖(New window)

巻 紙本 縦28.3cm 横755cm

懐素(8世紀後半に活躍)、本姓は銭、字は藏真、僧名は懐素。湖南零陵県に生まれ、後に長沙に移った。幼少時から仏教に親しみ、出家して僧侶となり、草書芸術に傾注した。大暦七年(772)頃、更なる発展を求め北方の長安へ向かった。洒脱で絶妙な草書の腕を持つ懐素は、顔真卿などの書家や詩人、上流階級の人々に激賞され、続々と詩文が贈られた。本作は大暦十二年(777)に懐素が顔真卿より寄せられた序文や一部の詩文を摘録し、狂草体で書き上げたものである。

文字は細筆硬毫で大きく書かれており、字体は丸みの中に力強さがあり、まるで曲りくねった針金のようである。出鋒による收筆、鉤爪のような鋭利さはまさに「鉄画銀鉤」である。連綿とつながった勢いある草書は、上下に翻る運筆により右へ左へ、上へ下へと起伏に富んでいる。スピード感に溢れ且つ軽重を兼ね備えた字体は、まるで明快なリズムを刻む旋律の如く躍動感に満ちている。また、点画が分散している部分は、筆を止めながらも連続した「意」が強調されており、とどまることのない筆勢と回転する筆鋒が一字、一行、ひいては数行の間で点画を呼応させている。整然とした秩序の中にも千変万化する筆遣いと表情豊かな躍動感が見られ、まさに草書芸術の極致である。