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虚
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景
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境
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情
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芸 |
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虚──旋回する宇宙 |
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旋回
1997年 紙本水墨着色 186×32cm
旋回しながら地面の風景を見ているこの作品は、1944年に飛行機でインドに向かった途中の経験をもとに描かれている。気流を避けて旋回する飛行機の中から見下ろした景観もまた回転していた。特殊な構図の作品で、視点が変われば、あらゆる変化が起こり得ることを示している。
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地球村
1998年 紙本水墨着色 186×32cm
科学技術が日増しに発展し、人の往来もますます盛んになっている昨今、「地球村」の形成も必然となっている。地球は斜めに傾いて回転しているから四季がある。そのため、この作品は斜めに描かれている。画面の太陽と月は地球が宇宙の一部であることを示している。陳其寛氏は、地球上の万物が一つの村の住民のように和気藹々と暮らせるよう願っている。 |
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景──心の眼に映った風景 |
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晴川
1990年 紙本水墨着色 30×61公分
陳氏は湖南省湘西自治州の張家界を訪れたいと願っている。しかし、この作品は張家界の風景を描いたのではなく、完成後にそっくりな風景があることを知ったのである。柱のように聳える山々が張家界の特徴であるが、張家界が観光地として開発される前から、陳氏の作品にはこのような山が描かれていた。
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雨に濡れる蓮
1990年 紙本水墨着色 30.5×62公分
この作品の構図と色彩は実に趣深い。雨に濡れる背の高い蓮の葉と茎が交錯する間に、まだ開ききらない小さな蓮の花がのぞいている。切れ切れの線で描かれた雨で、簾ごしに花を見ているようである。よく見ると、水中にたくさんの魚が悠々と泳いでいる。 |
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境──空間の境界 |
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重慶の町
1975年頃 紙本水墨 180×29公分
陳其寛は新しい創意と実験的な精神の持ち主である。この「重慶の町」という作品がその好例で、陳氏が重慶で学んでいた頃の町の様子を線描で表現している。建築の定点透視をもって、伝統的な横向きの鑑賞視点を一段ごとに上に向かわせ、動感を生み出すことに成功している。
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深遠
1979年 紙本水墨着色 62×62公分
この作品は奥行きを表現したものである。西洋美術は一点透視法によって奥行きを表現するが、中国の伝統的な絵画にこの手法はない。しかし、中国と西洋の技法に通じた陳其寛氏は、重なる円形の門を貫く視線を利用しつつ、遠方の景物を小さく描くことによって、奥行きの深さをやすやすと表現している。 |
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情──この世に満ちる愛 |
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惑(望めど得られず)
1967年 紙本水墨 29×22公分
この水墨画にもまた陳其寛氏の智慧とユーモアが表現されている。金魚を狙う猫の爪とその気勢、眼を大きく見開いた猫が描かれている。しかし、残念ながら金魚は水槽の中にいて猫の願いは叶わない。金魚は呑気な様子で猫と向かい合っている。「猫と魚の関係は、大陸と台湾のようだ。」と陳氏は述べている。意味のわかる人なら笑わずにはいられないだろう。原名は「望めど得られず」であったが、北京で展示した際、不要の騒動を避けるため、「惑」と改められた。
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老僕
1967年 紙本水墨着色 33×33公分
猿は陳其寛氏が得意とする題材である。筆遣い、墨の用い方、構図、どれを見ても実に巧みで見事である。この作品「老僕」は名作と言うにふさわしい。一匹の老いた猿が跪いて頬杖をつき身を臥しており、これがはしゃぐ小猿の舞台となっている。「首(こうべ)を俯して甘んじて孺子の牛となる」を表現したのではないだろうか。
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芸──精巧緻密な美しさ |
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少なければ即ち得
1977年 リトグラフ 32×62公分
いわゆる「少」とは簡略化された用筆、「得」とは意味深さを指し、これには荘子の思想が満ち満ちている。陳其寛氏は、この作品には「別れ」や「悲しみ」が込められていると述べている。二つの水槽の中にいる二匹の金魚は異郷にあって離れ離れの愛する者同士と考えられる。近くて遠い大陸と台湾の関係であるとも言えよう。
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瓶
1985年 リトグラフ 60×60公分
中国語の「瓶」と「平」は同音である。中国人は瓶の形に門を作り、無事に出入りできるよう願う。もちろん、世の中の平和を望むからこそ、日々の平安を願うのである。この作品は幾層にも重なる門の視界を通して、「深遠」、「双屏」と同じく、空間の奥行きを表現するとともに、静謐さを湛えた空間を描いている。
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