官窯としての龍泉窯明代初期の官用陶磁器は複数の窯場で製作されていました。洪武二十六年(1393)、明の太祖は一部の官用陶磁器を「行移饒・処」と指示し、即ち処州龍泉窯と饒州景徳鎮はどちらも宮廷用器を焼成する官窯となり、英宗天順八年(1464)には、中官を龍泉窯に派遣し磁器製作の監督に当たらせています。龍泉窯の青磁の形や文様が景徳鎮の作品と似通っているのは、朝廷が指定した「官様」であったためと考えられています。表面にびっしりと施された浅彫り、浮き彫り、押印、型押し模様は、明代初期の龍泉窯に見られた特徴であり、極めて複雑でこだわりの高さを感じさせます。しかし、明代における龍泉窯の主な容器は瓶・缶・盆・炉などの置物が多く、盤や碗も大きく厚みがあるため、景徳鎮で作られた細緻な食器と異なることがうかがえます。 |











