それは英雄対決の時代。当時の歴史舞台に立ったのは、その世の傑出した群英でした。彼らの生き生きとした個性と存分に発揮された才能が、この時代に溢れる緊迫感と特色を与えたのです。赤壁の戦いの前後から三国時代において、魏・蜀・呉の三国は手段を尽くして人材を推薦抜擢し、曹操にいたっては三度の「建安三令」を立て続けに発令し、その徳行を問わずただ才能を問うという人材の抜擢方針は、後世の議論されるところとなりました。しかし、それはまた、後に称えられた劉備の「三顧の礼」と同様、優れた人材を必死に求めた一つの表れと言えるのではないでしょうか。
三国時代の歴史人物は蜀の劉備・関羽・張飛・諸葛孔明・趙雲、東呉の孫権・周瑜・魯粛・陸遜、さらに魏の曹氏父子・荀攸・賈詡・司馬懿に至るまで、山河を呑む気概や堂々たる英姿、勇猛善謀や溢れる才気など、各々の才能をもって範を成し、後世において賛美敬服されるところとなりました。人材とはその時代に生きていたからこそ世に美名を残すことができたのか、或いは時代が人材によって鮮やぐものなのか。三国の群英がその啓示を与えてくれることでしょう。
なんとも雄壮な時代だったのでしょう。歴史の盛会が、人材雲集の下で壮大に繰り広げられていきます。
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六家文選 |
一般に「昭明文選」と呼ばれ、梁昭明太子である蕭統とその文臣らにより編纂された現存する最古の詩文集。東周から南朝の梁までの文学者130余人の700作品余りを収録している。後世に数多くの注釈本が出たが、中でも「六家(六臣注)」が最も有名である。「六家」とは唐代の李善・呂延済・劉良・張銑・呂向・李周翰の六人を指し、六家の中でも李善注が学林で最も重視され、そのほかの五人については文意の説明が評価されている。
〈短歌行〉
曹操はかつての楽府を用いて新しい内容を表現することに長けていた。この詩は宴のために作られたと言われるが、曹操の最も代表的な志を述べた詩歌であると言えよう。全体を通して抑揚に富み、まず人生の短さや功業を未だ成し遂げられないことへの深い感慨と憂慮を表した後、偉業の達成と人材の重用を志し、最後に天下統一の壮志を歌い上げている。
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「赤壁図」名山勝概記附名山図 |
「名山勝概記」の挿絵で、その図像は古書を参考にしている。巻首には崇禎六年(1633)の杭州墨絵斎による「赤壁の筏は藍田叔、孫子真に勝る」の題識がある。藍田叔と孫子真は明代の山水画家。河川の急な流れと、沿岸に高く聳える絶壁が描かれ、岩壁の下方には二艘の船が釣りをしている。線はやや粗く、「集成」の細密な描写には及ばない。
「君臣魚水」帝鑑図説
1628-1644
明 張居正 呂調陽編 清 沈振麟画
清 潘祖蔭 欧陽保極 楊泗孫 許彭寿著
清内府朱絲欄図絵写本
53×106cm
故殿002222-002223
明内閣大学士の張居正による編纂。歴代帝王の品格と政治に精励した事蹟および正義にもとる反例を逐一記載した書で、明神宗の読み物として供された。本図説の君臣魚水では、劉備が三顧の礼をもって諸葛孔明を配下に得、孔明は「隆中対」を献策。劉備は孔明を上客として扱ったため、関羽と張飛の不満を買うことになるが、劉備は君臣の巡り合わせを「水を得た魚の如し」に喩え、孔明を困らすことのないよう二人の義兄弟を諭す。そこで孔明も国のために力を尽くし劉備の知遇の恩に報いた、との内容が記されている。

