主な図像_天上と人間の世界―儒釈道人物の版画・図絵特別展
 
:::
展示作品概説
神仏の伝奇
仙人への遥かな道のり
 超俗的な聖人
ホーム
 
 
:::
 超俗的な聖人  

孔孟思想は後世に大きな影響を与え、紀元前200年頃、前漢の武帝が独り儒術を尊ぶとしてから後、儒家の学説が中国思想の主流となりました。本院では、古くから儒家が尊ぶ忠信・孝悌・節義・智勇などの事跡を記した古籍を宣揚しており、例えば、『帝鑑図説』・『三才図会』・『二十四孝弟詩図合刊』・『烈女伝』・『聖諭像解』などで、人物の造形画・世間警醒の因果・節婦孝子孝女などが描かれ、人物故事は見切れないほど豊富です。絵図ということから、教化訓戒の要素も豊富で、現代人が読んでも模範とし参考にできます。又、その版画は細やかで感動的で、明清時代に多くの傑作があります。

 
孔子【問礼老子】 (New window)   孔子【問礼老子】
『三才図会』 明 王圻 撰 明万暦三十七年 (1609) 王氏原刊配補影鈔本
贈善004931-005023 十一冊(第四冊) 展開サイズ:28.5×31cm 国防部寄贈
『聖廟祀典図考』 清 顧沅 編 清道光六至十年 (1826-1832) 顧氏家刻本
購善002447-002452 六冊(数冊) 展開サイズ:26.5×31cm
 

孔子(紀元前551-479)は名を丘、字を仲尼といい、曲阜県(山東省)の出身で、春秋時代 (紀元前770-476) 魯国の人です。儒家思想の創始者で、「礼」教を重視し、後世に「至聖先師」という尊称で呼ばれました。弟子が編集した『論語』には、儒家が尊崇した人文思想が含まれています。歴代の古書でも、孔子の容貌についての記述は少なく、今日の人々にさまざまに推測されています。『三才図会』に半身像が描かれ、秀麗な顔立ちで、着物は右の身頃が下になり、その前で拱手しています。『史記』の記述によれば、周敬王十七年(紀元前503)に、孔子はかつて老子に「道」を問い、老子は年若い孔子に、深く蔵して虚しきが若し、大智を理解するは愚かの若く、という道理を勧めました。孔子は、「鳥、吾知其能飛;魚、吾知其能遊;獣、吾知其能走;走者可以為罔、遊者可以為綸、飛者可以為矰。至於龍,吾不能知其乗風雲而上天。吾今日見老子,其猶龍邪。(鳥は空を飛ぶ。魚は水の中を泳ぐ。獣は走ることを私は知っている。走る獣は網で捕らえられる。泳ぐ魚は釣り糸で釣れる。飛ぶ鳥は矢で射ることができる。龍については雲に乗って天に登るのかどうか知らない。私は今日老子にお会いしたが、まるで龍のようなお方だ。)」と言い、孔子が衷心より老子の教に感服したことがよく分ります。民間では「孔子問礼図」として流伝しています。この図絵は、『聖廟祀典図考』のもので、図中の若い学者である孔子が、眉も鬚も白い老人に向かって礼をしつつ問いかけています。儒家と道家の記念すべき出会いでした。

 
諸葛孔明 (New window)   諸葛孔明
『三才図会』 明 王圻 撰 明万暦三十七年 (1609) 王氏原刊配補影鈔本
贈善004931-005023 十一冊(第五冊) 展開サイズ:28.5×31cm 国防部寄贈
 

諸葛亮 (181-234) は字を孔明といい、三国時代蜀漢 (221-263) 瑯琊邵県(現在の山東省沂県)の出身です。三国志の諸葛孔明は謀略に長けた奇才として世に名を轟かせ、劉備 (161-223) は「三顧の礼」によって才徳兼備の策士を招きました。後に劉備を助けて赤壁の戦で曹操 (155-220) を打ち破り、天下は三国分立の鼎立状態になりました。『三国志』に描写された諸葛孔明は、「英霸之器、身長八尺、容貌甚偉、時人異焉。(英覇の器があり、身長は八尺、容貌は甚だ立派で、当時の人とは異なる。)」と言われています。この図は、王圻 (1529-1612頃) の著になる『三才図会』のもので、諸葛孔明が戴く「諸葛巾」は、「綸巾(青い絹の頭巾)」といい、孔明が綸巾を服して羽扇を執って軍事を指揮したことから名付けられました。右衽(右身頃を下に右前で着た)の着物、身に纏った褙子(裏打のある着物)は、当時の士人の身なりでした。

 
詔儒講経 (New window)   詔儒講経
『帝鑑図説』 明 張居正 編 清 (1644-1912) 内府朱糸欄図絵写本
故殿002222-002223 二冊(第二冊) 展開サイズ:36×92cm
 
漢宣帝 (紀元前91-49) は詔を出し儒者に五経を説かせ、蕭望之などが異同を評し、易経・尚書・春秋・詩経と礼記を五経と定め、各経に博士の官職を立て、弟子たちに教えを広めました。宣帝時代以来、五経は大変盛んになり、代々伝えられ、天下を治める者の規範となり、その功績は大きいといえます。図絵には、宣帝が五経学堂を設置して、蕭望之などの儒者が五経について評議している場面が描かれ、儒学思想の保護と宣揚に多大な影響があり、君主が正学に応じてますます盛んになったことを示しています。
 
唐明皇宴京侍老図 (New window)   唐明皇宴京侍老図
『欽定元王惲承華事略補図』 元 王惲 撰 清光緒年間 (1875-1908) 武英殿刊本
故殿011486-011487 二冊(第一冊) 展開サイズ:45×42cm
 

この図は、『欽定元王惲承華事略補図』のもので、唐代開元二年 (714) に唐玄宗 (685-762) が首都長安の内殿に八十歳から九十歳の高齢者を招いて宴を催し、爵位と杖、粟と絹織物を授け、その子孫によく老人の世話をするように命じました。若し、息子一人ならば、終生出征防衛に従事しなくてよく、父母が七十歳を超えた者は、退役して百姓に戻ってよいとしました。また、天宝十三年 (754) には、全ての家庭に『孝経』を備えることという詔を出しました。中国は古くから年長者を尊び孝行する伝統があり、貴い帝王もまた例外ではありませんでした。図中の皇帝は王座にきちんと腰かけ、その下には高齢者と子供たちが一杯に座り、気分熱烈で喜びに満ちています。

 
陶荅子妻 (New window)   陶荅子妻
『呂新吾先生閨範図説』 明 呂坤 撰 清康熙年間 (1662-1722) 寧波呂応菊重刊本
贈善001071-001075 五冊(第四冊) 展開サイズ:26.6×27.5公分 徐庭謡寄贈
 
陶荅子は製陶の地で三年間役人を務め、名声は得ませんでしたが、富は三倍に増えました。妻は何度も陶荅子を諌めましたが、聞き入れられませんでした。五年後退職する時には、車が百台もありました。妻は子供を抱いて泣き、夫と姑を諌めつつ家を離れたいとし、「夫子能薄而官大,是謂嬰害。無功而家昌,是謂積殃。…今夫子治陶,家富國貧,君不敬,民不戴,敗亡之徵見矣。願與少子俱脫。(能力もない夫が高い地位を得たのは嬰害と言い、功労もないのに富を得たのもを積殃といいます。…今、あなたは陶器を治め、家を富ませ国を貧しくし、主君を敬わず、民をないがしろにしました。滅びの兆しが見られますので、私は子供を連れてここから出ていきたいと思います。)」と言いました。その様子を見て怒った姑は嫁を息子と離縁させました。翌年、陶荅子は汚職の罪で処罰され、妻は戻って姑が天寿をまっとうするまで孝養を尽くしました。その妻は正義を見極めることができ、栄誉や利益を貪りませんでした。礼法に反して家を離れたとはいえ、最終的には生命を保全し婦人の守る道を尽くし、先見の明があったと言えます。この図は、明代 (1368-1644) の呂坤 (1536-1618) の著作『閨範図説』のもので、版画の風格は古めかしく素朴で、線はやや形式的ですが、構図や場景配置は物語りが表現する精神は失っていません。
 
馮昭儀 (New window)   馮昭儀
『列女伝』 漢 劉向 撰 明 仇英 絵 清乾隆年間 (1736-1795) 知不足斎刊本
購善002597-002612 十六冊(第四冊) 展開サイズ:29.4×31.0cm
 
前漢孝元帝 (紀元前49-33) の馮という姓の昭儀(第一妃嬪)のことが描かれ、。元帝二年 (紀元前50) に後宮に入り、かつて長使・美人・婕妤という妃嬪などの爵位を得ました。彼女が婕妤の頃、熊が囲いから逃げ出して欄干を登って御殿に入ろうとし、御殿の人々は皆驚いて逃げましたが、婕妤だけが熊の前に立ちふさがりました。後に元帝がその理由を尋ねると、「妾聞猛獣得人而止、竊恐至御坐、故以身当之(猛獣は人がいると動かなくなると聞きました。上様の玉座まで行くのではないかと心配し、わが身でそれを止めました。)」と述べ、元帝はその義勇に感嘆し、昭儀の爵位を封じました。これは、馮昭儀が身を挺して熊を止める場面を描いたもので、殿前の左右の三人は後ろで武器を持ち、左右の四名の貴人は後退して逃げ、門の後ろには元帝と妃たちが保護され、一時混乱した場景で、その図の人物の動作は真に迫った描写で表現されています。
 
老萊斑衣 (New window)   老萊斑衣
『二十四孝弟詩図合刊』 清 蕭培元 撰 李錫彤 絵図 清同治八年 (1869) 義盛堂刊本
購善000250-000251 二冊(第一冊) 展開サイズ:28.5×28.8cm
 
「二十四孝」は、中国では誰もが知っている民間物語で、昔は児童の啓蒙教育の大切な教材でした。この図は、清代の蕭培元の著、李錫彤の画作品である『二十四孝弟詩図合刊』で、周代の楚人の姓を莱という、名の分からない、老莱子と呼ばれていた者を述べた作品です。両親には孝行を以って仕え、七十歳でも多彩な彩りの衣服を纏い、年取った両親を喜ばせ、時にはわざと赤子の泣き声を作ったり、わざと水桶をひっくり返して水を四方に跳ね上がらせて転んだ真似をしたりして笑わせ、それを和み楽しんでいました。「戯舞学嬌癡、春風動彩衣、双親開笑口、喜気満庭幃。(子供のように戯れ甘えるふりをし、春風に派手な衣服が春風に揺れています。両親は笑い、喜びで家庭に満ちていました。)」と本書の詩文にあります

 

 

 

 

 

 

 

國立故宮博物院 National Palace Museum (New window) 國立故宮博物院著作權所有 Copyright © National Palace Museum. All Rights Reserved.