| 明 項元汴 倣蘇軾寿星竹 |
|
 |
項元汴(1525-1590)、浙江嘉興の人。字は子京、墨林居士。江南地方屈指の収蔵家で、天下の名品の数々を広く収集し、「天籟閣」に収蔵した。優れた鑑賞眼を持ち、絵画を解するのみならず作画もし、山水画は元代の黄公望、倪瓉に学び、梅や蘭、竹石なども描いた。その作風は実に趣深い。
本作には、斜面にある岩石の後ろから伸びる二本の竹が描かれている。素直で気品のある筆法は、文人画の趣に満ちている。本作は、万暦8年(1580)に友人の父の誕生日を祝うために描いた作品である。後に孫の項皋謨が鑑定している。
|
|
拡大図 |
拡大図(部分)の鑑賞 |
|
|
|
| 明 項聖謨 画蘆雁 |
|
 |
項聖謨(1597-1658)は元汴の孫である。字は孔彰、号は易庵、胥樵。書と山水画に優れ、初めは文徴明、ひいて宋代に学び、元代の韻の風格を会得した。項氏一族の中で最も名を知られた画家である。
水辺に生い茂る蘆、そこに暮らす雁の群れが低く飛び、遠方から訪れる群れも描かれている。大きく広がる空の下、晩秋を迎えた日暮れの風景が寒々とした物寂しさを感じさせ、秋の風情が巧みな表現で描かれていると言えよう。
鑑蔵印記の中に「天籟閣中文孫」という印があり、祖父元汴への思いが感じられる。 |
|
拡大図 |
拡大図(部分)の鑑賞 |
|
|
|
| 宋 銭選 煙江待渡図 |
|
 |
銭選(1239-1301)、字は舜挙、号は玉潭、霅豁翁など。宋景定年間進士。絵画に長け、宋が滅びると出仕せず、生涯を通して詩や酒を楽しんで暮らした。
本作には秋の山水が描かれている。山のなだらかな斜面を硬い筆遣いで描き、青緑山水の古風な美しさが表現されており、文人画ならではの静けさや趣深さに満ちている。奥深くて静かな山水を描くと共に、作品に題画詩をし、婉曲に世を避けて静かに暮らしたい意欲が伺える。項元汴の天籟閣に収蔵されていた作品で、右側に描かれた樹木の根元に千字文780番目の文字「運」を用いた収蔵番号がある。
|
|
拡大図 |
拡大図(部分)の鑑賞 |
|
|
|
| 宋 蘇軾 致夢得秘校尺牘 |
|
 |
蘇軾(1037-1101)、字は子瞻、号は東坡居士、四川眉山の人。詩文と書画の大家。書法は二王(王羲之と王献之)、顔真卿、李邕、楊凝式などの長所を取り入れており、作品全体を見ると自由奔放に見えるが法度を失わず、「宋朝一」と黄庭堅に讃えられた。
元符3年(1100)、廉州での任官を命じられた蘇軾は、その地へ向かう途中でこの尺牘(書簡)をしたため、友人の趙夢得に送った。本作は「渡海帖」とも称される。落ち着いた中にも力強く大胆な筆致で、典型的な蘇軾の書風が見られる晩年の代表作である。書蹟に項元汴による千字文801番目の文字「具」を用いた収蔵番号がある。 |
|
拡大図 |
拡大図(部分)の鑑賞 |
|
|
|
| 元 趙孟頫 致中峰和尚尺牘 |
|
 |
趙孟頫(1254-1322)、湖州(現在の浙江省湖州市)の人で、字は子昴、号は松雪道人。宋皇室の末裔。元の時代になると翰林学士承旨に至るまで仕えた。書に優れ絵を善くし、時代に冠絶した大家である。
中峰明本は元代の高僧で、当時の人々の尊敬を集め、趙孟頫夫妻も弟子として師事した。本作は趙孟頫と中峰明本との間で交わされた尺牘の一つで、「呉門帖」とも称される。成熟した筆法は古風で気韻高く、筆を走らせれば形を成して風格を醸し出し、伸びやかで洗練されている。直ちに王羲之を継ぐ書家だと言えよう。「趙氏一門法書」より選出。右下に項元汴による千字文768番目の文字「凋」を用いた収蔵番号がある。 |
|
拡大図 |
拡大図(部分)の鑑賞 |
|
|
|
| 明 仇英 臨宋元六景 |
|
 |
仇英(約1494-1552)、江蘇太倉の人。字は実父、号は十洲。若い頃は漆職人だったが、後に周臣に出会ってその教えを受け、しだいに画壇に名を知られるようになった。晩年は項元汴に招かれ、古画を臨模して多くを学んだ。
本作の率意の筆遣いによって自然の情緒が表現され、淡く上品な色使い、美しく整った中に瀟洒な趣が感じられる。1547年の作品である。本幅に項氏の「墨林祕玩」という収蔵印がある。後の副葉(添紙)にも題跋と千字文の689番目の文字「聆」を用いた収蔵番号があり、おそらく項家に招かれた際に描いた作品であろう。 |
|
拡大図 |
拡大図(部分)の鑑賞 |
Flash鑑賞 |
|
| |