主な図像_鐘・鼎の銘文―漢字の源流展
國立故宮博物院National Palace Museum (New window)
主な図像_鐘・鼎の銘文―漢字の源流展
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タイトル:毛公鼎

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毛公鼎の胴内に鋳刻された三十二行、五百文字は、世界で最も長い銘文です。

伝えられるところでは、清代の道光二十三年(1843年)前後に陝西省岐山県で出土したといいます。幾度も持ち主を替えて秘蔵された末、中央博物館に寄贈され、故宮の文物の南遷に伴って、海を越え台湾に渡りました。

西周厲王の晩年は政治の失策が続き、諸侯が謀反を起こし、厲王は彘の地に追放され、いわゆる「共和時代」が始まりました。この時、諸侯は新旧両派に分かれて闘争を繰り返していたため、即位したばかりの宣王は心配で気が気ではありませんでした。鼎の銘文に「…四方大いに乱れ定まらず」とあるのは、当時の動乱の局面を指しているのかもしれません。

銘文の最初の五段は「王若曰」、「王曰」で始まる勅諭であり、緊急に優秀な補佐を必要としていた宣王の切実な願いが現れています。第二段から第四段までは「~してはならない」、「~すべきはでない」、「~のような考えをおこすものではない」という強い命令文が連続して登場し、当時の情勢が動揺して不安定であったことや、毛公に危急存亡の際は命を投げ出す覚悟で対処するよう切実な要求をしていることがうかがえます。

毛公は周の宣王の冊命を受け、朝廷の百官を統率し、周王の内外の大小にわたる政事とあらゆる政令の布告に責任を負い、あわせて皇族の子弟の教育、侍衛、軍事、内政なども兼任して管理することとなりました。まさに「一人の下、万人の上」と言えるほど多数の要職を一手に引き受けたのです。従って下賜品も玉礼器、佩飾、官服、車飾、馬飾など盛りだくさんでした。下賜品の多さは金文のうちでも最高クラスで、封じられた官職の大きさがうかがえます。

毛公鼎の銘文は、字数の多さや、勅諭の語句の華美さだけではなく、下賜の豊富さをとっても、天下一の宝と称してさしつかえないでしょう。

  毛公鼎  
毛公鼎
西周晚期(宣王時代)


T 101 中銅 651 

高さ53.8cm 口径47.9cm

銘文五百文字(うち異体字十文字、合字十三文字、欠落二文字)
拡大図 1234