國立故宮博物院 National Palace Museum (New window)  
タイトル:陶器と磁器

国立故宮博物院が所蔵する陶磁器のコレクションは、数では明清両朝の官窯が最も多く、知名度では宋代の作品が最も高く、清代宮廷の所蔵品の特色を色濃く反映したものである言えます。これまで各界人士が快く寄贈してくださった文物は、当博物院の陶磁器コレクションをより多様且つ完全なものにしています。

陶磁器の寄贈品は「歴代寄贈陶磁器コレクション」と「近代の生活美学」の二つのコーナーに分けて展示しております。「歴代寄贈陶磁器コレクション」コーナーでは、新石器時代から清代までの文物を展示しており、当博物院の陶磁器展覧の作品と併せてご鑑賞頂くことをお奨めします。陶磁器史の発展の軌跡を垣間見ることができるだけでなく、精美な官窯作品とはひと味違ったこれらの作品から、陶磁器の素朴な風情と地方の特色を知ることができるでしょう。「近代の生活美学」コーナーでは、19~20世紀のセットになった実用的な陶磁器を展示しております。祭日に合わせて特別に作られた食器や、吉祥を寓意してデザインされたタイルと食器には、喜びと華やかさが満ちています。

新石器時代 大汶口文化 白陶鬹 (New window)

新石器時代 大汶口文化 白陶鬹

許作立氏 寄贈
贈瓷000444

この白陶鬹(ハクトウキ)は泥質のカオリン土を使用して製作された器である。器全体の形は首を伸ばして鳴いている鳥の形をしており、二足は前方、一足は後方についており、注ぎ口は鳥が嘴を天を向けているのに似ている。開いた口とすぼんだ首、首の接合部分には5本の絃紋があり、腹部の上半部はふっくらと肥えている。腹部の前には丸い餅の形をしたボタンがついており、中間には突起した縄の紋様がある。扁形の取っ手が首に接続しており、腹部の下半部には3つの中空の袋の形をした錐足がある。

陶鬹は新石器時代晩期の陶製容器で、通常夾砂或いは泥質を原料としており、赤・グレー・黒・白の器がある。すでに出土した陶鬹は、山東省泰安大汶口青はじめ、莒県大朱村・曲阜西夏侯・鄒県野店・兗州王因・日照東海峪、・膠県三裏河等の大汶口文化遺跡に見られる。続く山東龍山文化遺跡、例えば山東省の章丘城子崖・濰坊姚官荘・日照両城鎮・泗水尹家城・兗州西吳寺などの地からもユニークな造形の陶鬹が出土している。夏末商初に至り、陶鬹の製作は徐々に減少し遂に消失した。大汶口文化と山東龍山文化はいずれも黃河の下流地域にあり、新石器時代中・晚期文化を代表するものであった。時は約紀元前4100~2000年の間で、地域は現在の山東省・江蘇省北部・河南省東部・安徽省北部、及び遼東半島辺りである。

唐 三彩騎馬俑 (New window)

唐 三彩騎馬俑

林語堂氏 寄贈
贈瓷000058

本作、「三彩騎馬俑」の騎士は幞頭(ぼくとう)をかぶり、長い中国服を身にまとい、腰には広いベルトを、足には靴を履いている。両ひじは腰のところで曲げており、両手でたずなを握り、足は馬の鐙(あぶみ)を踏み、威風堂々と駿の鞍に跨っている。馬は瞳を凝らし耳を立て、鬣(たてがみ)は額の真ん中で分かれており、やゝ左側を見ている。馬の体は均整がとれており、その姿は凛々しい。尾は短く細く結び、長身の体は薄い板の上に立っている。馬と人物は共に灰黄色の陶土を胎としており、先に白色の化粧土をかけ、次に低温の鉛釉を施している。馬は褐色、人物は緑を主としている。褐色と綠、黄色、白が交わり、釉色は鮮明である。騎士の顔と両手は、元は彩色原を施したとおもわれるが、残念ながら今はない。

唐の時代、貴族や高官たちの葬儀の際には多くの副葬品を共に埋めるのが習わしであった。当時「競って厚葬(手厚く埋葬する)をなし、偶人象馬 雕飾生きているが如し 徒に路人を炫耀する」とある。こうして見ると、厚葬が盛んだった情況に於ける大量の装飾品や華美な作品も、産まれるべくして産まれたものと思われる。盛唐時の三彩陶俑は貴族、高官たちの生前の輝かしい政や地位を経たことを表し、墓の主も生前の権勢や富を死後の世界に再現したいとする意図を託したものである。

金-元 磁州窯 白地画花花鳥文枕(New window)

金-元 磁州窯 白地画花花鳥文枕

桂良氏 寄贈
贈瓷000430

磁枕(じちん、磁器製の枕)は八角形で、枕の上部と長いほうの面はわずかに内側に凹んでいる。全体に白釉薬を施したあと、黒釉で縁取りをし、さらに枕の上部と側面に花鳥画を描き、白地に黒模様のコントラストで、はっきりした効果を生みだしている。磁枕は就寝時や休憩時の枕、肘置きなどとして日常生活で使われたほか、冥器すなわち副葬品や脈診の台として医療用にも用いられた。隋代から清代まで用いられ、宋代に最も流行した。磁州窯の枕は造形が豊富で、長方形、楕円形、雲形、花弁形、ハート形、六角形、八角形、馬蹄銀形などがあり、制作にあたっては白色の化粧土の上に線描、彫刻、浮き彫り、彩色上絵を施すなどの装飾技法が用いられ、磁器の表面と装飾文様との間に色の対比を産み出している。装飾文様の題材として多いのは庶民の生活の情景や詩文で、磁枕を専門に制作する工房もあった。

北宋の張耒(ちょうらい)の『謝黄師是恵碧瓷枕』という詩に、「鞏人(きょうじん)が作りし瓷(=磁器)は堅くかつ青く 故人は炎蒸を消さんと我に贈る これを持ちて室に入れば涼風を生じ 脳は寒(つめた)く髪冷ややかにして泥丸を驚かす」とあり、磁枕が宋代の文人雅士の間で贈り物として用いられていたことが分かる。明代の高濂(こうれん)はその著書『遵生八箋』の中で、磁枕には「目を良くし、夜でも小さな文字が読める」効用があると述べている。当院の清宮旧蔵の収蔵品のなかには磁枕だけでなく、乾隆帝の御製詩から磁枕に関連する二十首あまりの詩作も見つかっている。このことからも、磁枕が庶民から文人雅士、皇族までみなに愛好された生活用品であったことがうかがえる。

明 十七世紀 黄釉印花蟹文盒 (New window)

明 十七世紀 黄釉印花蟹文盒

葉義氏 寄贈
贈瓷000275

この黄釉印花蟹文盒は、丸い形をしており、蓋付きで、本体は平たい。合子(ごうし)の本体と蓋の表面には黄釉が施され、上下にそれぞれ直線紋が圧印されているため、あたかも咲き誇る菊の花のようである。蓋の中央には紫褐色の釉がかけられ、蟹の紋様が刻印されている。高台は低い輪高台で、高台内にも黄釉が施されているが、やや薄めにかけられているので、その下の白い胎色がかすかに透けて見える。

明清時代に中国南方で生産されたこの類の低温釉彩は「華南三彩」と呼ばれ、十七世紀前半に茶道具として多く日本に輸出された。その中で、蓋のついた合子(ごうし)作品は初期には「交趾焼(こうちやき)の香盒(こうごう)」と呼ばれていた。近年の調査と考古発掘により、福建省漳州市平和県がこうした作品の産地のひとつで、十六世紀末から十七世紀まで継続して生産されていたことが分かっている。また、類似の低温釉彩の合子が、日本の元和9(1623)年に廃城となった京都の伏見城跡と大阪の堺環濠都市遺跡の元和5(1615)年の遺構から出土しており、生産年代を判断するうえで重要な指標となっている。

清 素三彩松樹筆筒 (New window)

清 素三彩松樹筆筒

朱銘源氏 寄贈
贈瓷000176

素三彩筆筒は、全体を樹木の幹に見立てた造形で、工匠によってこの幹によじ登る松の木の浮き彫り細工が施されており、たいへん渋い趣がある。素三彩とは釉薬の上から彩色上絵を施した磁器の一種で、その制作方法は、まず高温で素の磁胎を焼成し、釉薬をかけたあと、再び低温で焼成する。「素」とは一般には赤色を用いていないことを指すが、「素胎」の意味だとする説もある。三彩とはおもに紫、黄、緑の三色のことだが、実際にこの三色に限定されている訳ではない。

この筆筒は本体の幹が黄色で、そこに絡みついて上に伸びる松の木には緑色の松葉が生えており、幹の色は茶色がかった紫色である。紫と白が互い違いになった浮き雲は、高く聳えた松の木が雲を突き破るイメージを表現している。全体の造形と彫刻は精緻をきわめ、層の分かれ目ははっきりしており、釉薬の光沢が立体感を出している。樹皮や木のこぶ、松葉の浮き彫り細工は真に迫っており、なかなかお目にかかれない精緻な作品である。