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故宮博物院簡史 | 現行の組織体制と業務内容 | 敷地内の庭園 伝承と創造 天下を以て公と為す 故宮初めて建つ 1925年10月10日、故宮博物院が正式に設立されました。この時から、歴代皇室と宮廷が所蔵していた、世にも稀なる貴重な文物は、中華文化遺産として永く後世に伝えられることとなり、全ての人々が自由に宮廷に出入りし、国の至宝を鑑賞できるようになりました。初代院長は易培基(1880-1973)氏で、1925-1931年は北京故宮博物院の啓蒙の時代であると言えます。 国宝を守り、万里をさすらう 1937年、盧溝橋事件が勃発。故宮南京分院は行政院の命を受け、南路、中路、北路の三つのルートで文物を奥地へと避難させました。南路で運ばれた80箱の文物は、ほとんどが「中国芸術国際展覧会」に出展された逸品であり、武漢を経由して長沙、貴陽、安順の各地を経て四川省巴県に運ばれました。中路で運ばれた9,331箱は、漢口、宜昌、重慶、宜賓を経由し、最後に四川省の楽山安谷郷に安置されました。北路経由の文物は7,287箱あり、津浦鉄道に沿って徐州まで北上し、隴海鉄道で宝鶏まで運ばれた後、漢中と成都を経て、四川省の峨眉に運ばれました。 抗日戦争時、故宮の主な業務は文物の保護にありましたが、展覧会も幾度となく開催されました。1939年7月、故宮は貴州安順華厳洞に保管されていた文物の中から殷・周代の銅器十点、玉器四十点、書画四十八点、宋・元代の緙絲作品各一点、計百点を選び、モスクワとレニングラードで開催された「中国芸術展覧会」に出展。1942年12月、これらの文物は中国本土に返送する途中、重慶で開催された「第三回全国美術展覧会」に出展され、その後は安順の保管庫に戻されました。また、1943年12月、安順に保管されていた文物は、重慶中央図書館主催の書画展や貴陽貴州芸術館展などに出展されました。 当博物院のもう一つのルーツは、1933年、北京古物陳列所の収蔵品を基に南京に設立された中央博物院籌備処(準備所)です。1937年11月、中央博物院籌備処の文物も水路により西の重慶へと避難し、1939年には昆明、楽山にそれぞれ運ばれた後、四川省南渓の李荘に安置されました。1945年8月に日本が降伏すると、奥地に移されていた中華文物は、苦労を重ね、再度全てが南京に運ばれました。 台中に文物を保管していた時期、政府は、「国立中央博物図書院館聯合管理処」を設立。台湾に運ばれた故宮博物院、中央図書館、中央博物院の三機関の文物、及び職員を合併して教育部の管轄下に置き、杭立武(1902–1991)氏が主任委員を兼任しました。台中県霧峰郷の北溝に保管庫の建設用地を探すとともに、文物の抽出検査、点検、整理を進め、「中華文物集成」の編集出版が行われました。1957年、北溝陳列室が正式に一般公開されました。1961年には、253点(組)の文物を精選し、「中華文物」(Chinese Art Treasures)と題した巡回展をワシントン・ニューヨーク・ボストン・シカゴ・サンフランシスコの米五大都市において一年にわたって開催し、同時に50点(組)の逸品をニューヨーク世界博覧会に出展しました。 1965年になり、台北市外双渓に新館が落成し、行政院より「国立故宮博物院管理委員会臨時組織条例規程」が発布され、王雲五(1888-1979)氏が主任委員を務め、蒋復璁(1898-1990)氏を院長に招聘しました。新館は「中山博物院」と命名され、国父生誕百周年の記念日に開幕されました。 博物館の拡大と業務の展開 1965年に台北故宮の開幕当初は、書法・名画・銅器・磁器・玉器・珍玩・織物・図書文献などの文物を十六の展示室と八カ所の画廊でそれぞれ展示し、毎日大勢の参観者が訪れました。開幕の翌年、1966年からは「故宮通訊」と「故宮季刊」の発行を開始。1967年1月には、中央歩道の「天下為公」の牌楼と石柱一対が建てられました。同年末、新館左右両翼の拡張工事が竣工(第一期拡張工事)。博物館業務の拡大により、従来の組織の規模と人員では実際の需要に対応できなくなったため、1968年に組織規程を改正し、古物と書画の二組を器物、書画、図書文献の三処、及び展覧、出版、登記の三組に拡大し、改めて文物の点検と整理、登録を行い、その他の学術機関と交流活動を展開しました。同年、故宮図書館を一般に開放。1970年、科学保管技術室が増設され、当博物院の組織は、これでほぼ整うことになり、1971年には当博物院新館両翼の拡張工事(第二期拡張工事)も竣工しました。 故宮博物院は、蒋復璁院長が在任した十八年の間に、二度の拡張工事と二度の改組、増編を経て、現代博物館の規模を有するまでに発展しました。博物館関連の全ての業務を次々に展開し、更にさまざまな定期刊行物・専門書・目録・掛け軸・巻物などを前後して出版したほか、スタッフを海外に派遣して養成訓練や視察、国際学術活動への参加などを積極的に取り組みました。1970年には大阪で行われた「万国博覧会」に参加し、「中国古画フォーラム」を主催し、大きな反響を呼び、更に当博物院の名声を世界に広めることになりました。更に新世代の研究スタッフを育成し、故宮研究員の文物に対する豊かな学識素養を伝承するため、国立台湾大学歴史研究所(大学院)に於ける中国芸術史組の増設(1971)に協力し、台湾芸術史の研究に確固たる礎を築きました。また、中華民国の歴史編纂の任務を遂行するため、1978年国史館と共同で「清史稿」の校注を行い、十二年後に国史館より「清史稿校注」が出版されました。 新旧の架け橋 世界の舞台へ 1987年、「国立故宮博物院組織条例」が総統の命により公布・施行され、故宮博物院の院長は行政院により任命されることになりました。1989年7月、再び文物の総点検を行い、1991年5月に完了。同年、行政院は国立故宮博物院の「管理委員会」に代わる「指導委員」を設置。1995年には、第四期拡張工事を経て図書文献ビルが落成し、現代的な明るく広々とした図書館のほかに、約400坪の展覧ホールが完成し、借用展業務の積極的な企画が可能になりました。図書文献ビルの落成当日に「ルーブル美術館珍蔵名画展」がスタートし、仏ルーブル美術館(Musee du Louvre)の十六~十七世紀の71点の風景名画が展示され、数多くの参観者を集め、大きな話題を呼びました。同年末、国内の玉器コレクターとの提携により「群玉別蔵」特別展を開催し、中国語・英語・日本語の音声ガイドサービスをスタートさせました。その後、「彫塑別蔵」(1997)、「伝奇の美:西洋絵画と彫塑」、「ピカソの世界」(1998)、「三星堆の伝奇」と「漢代文物大展」(1999)などの特別展を相次いで開催し、国内外、および中国大陸の文物を展示するほか、国際舞台へと邁進しました。1996年三月、米メトロポリタン博物館の要請を受け、「中華瑰宝:国立故宮博物院の珍蔵」と題し、当博物院所蔵の452点(組)の精選文物が同国の四大都市で巡回展示されました。また、1998年10月、パリのグラン・パレ国立美術館で「帝国の追憶:国立故宮博物院瑰宝展」が開催され、当博物院の選りすぐりの344点(組)の文物が展示されました。更に1999年一月には、中米友好七カ国の要請により、精良なレプリカによる「故宮精美文物展」が中米で巡回展が行われました。 本土意識 ニュートレンド 副院長を四年間務めた石守謙氏が2005年に院長に就任。石守謙氏は、副院長時代に杜院長を補佐し、学術研究の推進や定期的な小規模フォーラムの開催などに取り組んできました。また石守謙氏は台湾大学芸術史研究所(大学院)の創設者であり、専門は絵画研究で、当博物院の三処合同による大規模展覧会「ハーンの世紀-蒙元時代の多元文化と芸術展」(2001)では自らが陣頭指揮を執り、同展覧に合わせて「蒙元学術フォーラム」も開催しました。その二年後に「乾隆皇帝の文化大業展」を企画。更に故宮八十周年には「大観-北宋書画・北宋汝窯・宋版図書特別展」を企画し、同時に「典範の確立-北宋の芸術と文化」と題した国際学術フォーラムを開催。この特別展とフォーラムは、当時の博物館と中国芸術史学界における一大イベントとして注目されました。このほか、石院長は海外の一流博物館にすべて高級レストランが附設されていることに鑑み、従業員レストランのあった用地にBOT方式でレストランを建設。このレストランこそ、2008年6月にオープンした「故宮晶華」なのです。 2006年、行政院の改組に伴い、林曼麗女史が院長に就任。「トレンディ故宮」を全力で推進し、「Old is New」のテーマの下で、故宮グッズの研究開発とブランドの授権を通じ、故宮は内外の著名なブランド、例えば、日本のサンリオ、イタリアのAlessi、台湾のフランツ、義美食品などと提携しました。 専業に戻り、新局面を創造 一年余り、当博物院は文物の徴集と大掛かりな点検・世界および両岸との交流を推進し観光発展を拡大・文化創意産業パークの企画・文化創意の一連の活動・幅広い年齢層の文物愛好者や若者参加者を養成し展示ロビーを改善して展示場スペースの効果をアップ・故宮博物院南部院の設立に力を注ぐなど、ソフト、ハード面にかかわらず、すでに相当な成果を収めています。同時にまた企業管理と異業者と提携する経営理念により、外在する資源を結合し、活発で多様化した発展空間のある故宮を作り上げています。 2008年12月、行政院は「両岸故宮」とする重要な興利政策を決定。政府の両岸関係の正常化推進に歩調を合わせるため、当博物院は積極的に中国の規模の大規模な博物館-北京故宮博物院、上海博物館、南京博物院、瀋陽博物院などとの交流を進めており、多項目に亙り、交流の共同認識に達成しております。更に常態的な合作のメカニズムを確立し、将来の対等交流のための厚い基礎を築いております。 文化創意が待ち望む知識経済の潮流の中にあって、当博物院は積極的に「故宮文化創意產業園区」の建設準備に取り掛かっており、手厚い文化資產と世界的に知名度の高い優れた條件により、故宮の経営を內外文化創意產業集落となし、また文化創意の一連の活動を通じて、潜在力を有するデザインチームを招聘し、文化創意課程を開講し、民衆に精緻で深みを持つ故宮の現代設計製品作りを体験してもらうのです。 このほか、当博物院はブランド品の授権方式により、メーカーに創意を発揮してもらい、幅広い範囲の商品を創造し、世界に向けて販売しており、今や「故宮文化創意産業園区」は全世界の文化創意産業の重鎮となっています。故宮では目下、故宮の側の国家安全局衛勤管理学校用地を取得し、園区準備計画の推進に沿い、2009年から第一回「文創産業發展研習キャンプ」を行い、博物館から派生した商品のメーカーなど、文化創意産業に関連ある研究開発デザインチームを選りすぐり、美学の感知、文化の創意、故宮文物、およびディジタル付加価値の応用などの研修活動やインタラクティブコースを企画し、故宮の資源や教育訓練の場所を提供。同時に当博物院の商品開発に関連するメカニズムと品質管理を導入し、この機を借りて、長期的に訓練養成し、博物館関連産業の品質と内容を向上すると同時に故宮と文化創意産業間の提携と販売モデル確立を帰しています。 博物館教育機能発揮の面に於いて当博物院は、年齢やそれぞれの嗜好に合わせた教育活動を行っております。例えば、一般人のための定時ガイドと文物演習・児童のためには学芸センターを設立・教師のための種子教師演習・館校合作で行うボランティアの養成・若者たちの志向に基づいて行われている「Young Peopleと故宮のコラボ-故宮週末の夜」・台北以外の県市や離島の人々のための複製品巡迴展などがあります。また当博物院内の施設を上手に活用した精彩を放つ展覧と教育活動は、「故宮夜宴」と題して三希堂で行われています。また文物鑑賞と芸術の上演は文会堂で、「故宮新韻」と題して伝統の戯曲などが上演されています。このほか、コンピュータ科学技術、および故宮U化計画は博物館の囲いを突破して、故宮の精美な文物や教育資源が人の群に入り込み、群衆の生活に近づきます。 周院長は就任後、積極的に故宮博物院南部院区の建設計画を推進していますが、唯一元々の推進計画が妥当でなく、また本件の管理顧問や景観顧問、建築顧問などの契約解除や終了など、大きな事情の変化があった事に加えて、88台風災害の影響などがあり、これらの問題を全て解決した後、行政院で幾度も会議が開かれ、検討されて結果、98年12月17日に結論が出て、続けている準備計画を2期に分けて行うことになりました。第1期の博物館館区主体建築と関連工事は由內政部営建署が請け負います。 2009年は、延べ250万人の参観者を越えました。参観者の方々に、より快適な展覧と接待の空間、楽しい参観環境と経験を提供するため、当博物院は目下、向かい側の「故宮文化創意産業園区」預定地と有機的な結びつきを図るべく、「第六期拡張建設計画」の可能性を模索しております。故宮は時代の脈動と結合し、伝統の中に湧き出る水の源を捜し求めると同時に、専門の立場から新局面を切り開いて行くのです。
一、組織 本院組織法および処務規則の規定により、院長一名、副院長二名、主任秘書一名を置き、その下に器物処、書画処、図書文献処、登録保存処、文創行銷処、教育展資処、南院処、安全管理室、秘書室、人事室、会計室、政風室の計7処の5室を設置し、これら12の部門が故宮博物院の各種業務を担う。 【組織図】
二、業務内容 (一)器物処の掌理事項
本館は四階建ての中国宮殿風の建築様式で、組み重ねられた斗拱に緑の瓦と黄色の棟が荘厳且つ華麗な趣を呈している。1967年と1969年に二度の拡張工事が実施され、1985年には展示スペースの改築工事も行われた。2004年7月に始まった改善工事は2007年12月に完工し、現在は一~三階が展示スペース、四階は喫茶が楽しめる「三希堂」となっている。
敷地内右側の小面積の土地には無料開放している庭園─「至徳園」がある。園内には丸い橋と池、小さな東屋がある。毎年秋になると涼やかな夜の空気に花の香が漂い、人を惹きつけずにはおかない、なかなか忘れ難い趣がある。 |
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