國立故宮博物院 National Palace Museum
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伝承と継続

故宮博物院簡史 | 現行の組織体制と業務内容 | 敷地内の庭園


項目符號 故宮博物院簡史


伝承と創造

天下を以て公と為す 故宮初めて建つ
国立故宮博物院のコレクションは、宋、元、明、清の歴代宮廷の収蔵文物を継承しており、その内容も数も極めて豊富です。これらの文物の発展は、近代中国社会の変遷と密接な関係があります。中華民国が建国されて、十三年後、清朝を退位した溥儀皇帝を紫禁城から追放し、宮廷にあった文物を点検すると同時に、故宮博物院を設立しました。

1925年10月10日、故宮博物院が正式に設立されました。この時から、歴代皇室と宮廷が所蔵していた、世にも稀なる貴重な文物は、中華文化遺産として永く後世に伝えられることとなり、全ての人々が自由に宮廷に出入りし、国の至宝を鑑賞できるようになりました。初代院長は易培基(1880-1973)氏で、1925-1931年は北京故宮博物院の啓蒙の時代であると言えます。

国宝を守り、万里をさすらう
1931年、満州事変が勃発し、日本が東北を占拠。北京と天津は動揺し、華北の情勢がいよいよ緊迫する中、故宮は事前に収蔵文物の名品を選りすぐって箱詰めし、南遷に備えました。1933年1月、日本軍が山海関に進入。1934年1月31日、故宮文物は五つに分けられ、計19,557箱が南部に運ばれました。この中には古物陳列所・頤和園・国子監などの文物6,066箱も含まれていました。1934年2月、国民政府は「国立北平故宮博物院暫行組織条例」を発布し、故宮は行政院の管轄に改められ、馬衡(1881-1995)氏が院長に任命されました。この間に上海に移された文物と北京に残された文物の点検が行われました。1935年、故宮は上海に運ばれた文物の中から優れた逸品を選び、イギリスのロンドンで開かれた、「中国芸術国際展覧会」(International Exhibition of Chinese Art)に出展。1936年12月には、故宮博物院南京分院が落成し、故宮の文物は上海から南京朝天宮の新しい保管庫に移されました。

1937年、盧溝橋事件が勃発。故宮南京分院は行政院の命を受け、南路、中路、北路の三つのルートで文物を奥地へと避難させました。南路で運ばれた80箱の文物は、ほとんどが「中国芸術国際展覧会」に出展された逸品であり、武漢を経由して長沙、貴陽、安順の各地を経て四川省巴県に運ばれました。中路で運ばれた9,331箱は、漢口、宜昌、重慶、宜賓を経由し、最後に四川省の楽山安谷郷に安置されました。北路経由の文物は7,287箱あり、津浦鉄道に沿って徐州まで北上し、隴海鉄道で宝鶏まで運ばれた後、漢中と成都を経て、四川省の峨眉に運ばれました。

抗日戦争時、故宮の主な業務は文物の保護にありましたが、展覧会も幾度となく開催されました。1939年7月、故宮は貴州安順華厳洞に保管されていた文物の中から殷・周代の銅器十点、玉器四十点、書画四十八点、宋・元代の緙絲作品各一点、計百点を選び、モスクワとレニングラードで開催された「中国芸術展覧会」に出展。1942年12月、これらの文物は中国本土に返送する途中、重慶で開催された「第三回全国美術展覧会」に出展され、その後は安順の保管庫に戻されました。また、1943年12月、安順に保管されていた文物は、重慶中央図書館主催の書画展や貴陽貴州芸術館展などに出展されました。

当博物院のもう一つのルーツは、1933年、北京古物陳列所の収蔵品を基に南京に設立された中央博物院籌備処(準備所)です。1937年11月、中央博物院籌備処の文物も水路により西の重慶へと避難し、1939年には昆明、楽山にそれぞれ運ばれた後、四川省南渓の李荘に安置されました。1945年8月に日本が降伏すると、奥地に移されていた中華文物は、苦労を重ね、再度全てが南京に運ばれました。
 
宝物、台湾に到着 館を建て博物院を復活
1948年の秋、国共内戦の形勢が逆転し、中央政府は再度故宮および中央博物院籌備処の優れた文物を台湾へ移すことを決定。同時に中央図書館、中央研究院歴史語言研究所、外交部、および教育部の文物や档案も台湾に運ばれることになりました。同年末、第一陣の文物が南京を出発し、海路により基隆に到着。翌年には第二、第三陣の文物も台湾に到着し、合わせて2,972箱が台湾に運ばれましたが、これらは北京から南遷した文物の22%に過ぎませんでした。一方、台湾に運ばれた計852箱の中央博物院所蔵の文物は、その殆どが逸品で占められていました。

台中に文物を保管していた時期、政府は、「国立中央博物図書院館聯合管理処」を設立。台湾に運ばれた故宮博物院、中央図書館、中央博物院の三機関の文物、及び職員を合併して教育部の管轄下に置き、杭立武(1902–1991)氏が主任委員を兼任しました。台中県霧峰郷の北溝に保管庫の建設用地を探すとともに、文物の抽出検査、点検、整理を進め、「中華文物集成」の編集出版が行われました。1957年、北溝陳列室が正式に一般公開されました。1961年には、253点(組)の文物を精選し、「中華文物」(Chinese Art Treasures)と題した巡回展をワシントン・ニューヨーク・ボストン・シカゴ・サンフランシスコの米五大都市において一年にわたって開催し、同時に50点(組)の逸品をニューヨーク世界博覧会に出展しました。

1965年になり、台北市外双渓に新館が落成し、行政院より「国立故宮博物院管理委員会臨時組織条例規程」が発布され、王雲五(1888-1979)氏が主任委員を務め、蒋復璁(1898-1990)氏を院長に招聘しました。新館は「中山博物院」と命名され、国父生誕百周年の記念日に開幕されました。

博物館の拡大と業務の展開
博物館にとって、豊富なコレクションを揃えることはもちろんのことですが、更に重要なことは、収蔵品の良好な保存環境と保存方法、および研究人材を備え、教育的意義のある展覧を企画することです。このため、当博物院は外双渓の新館開幕から今日に至るまで、幾度もの改組を行ったほか、業務と人員の拡大に合わせ、五回にわたる拡張工事を行い、現在の規模に至っています。

1965年に台北故宮の開幕当初は、書法・名画・銅器・磁器・玉器・珍玩・織物・図書文献などの文物を十六の展示室と八カ所の画廊でそれぞれ展示し、毎日大勢の参観者が訪れました。開幕の翌年、1966年からは「故宮通訊」と「故宮季刊」の発行を開始。1967年1月には、中央歩道の「天下為公」の牌楼と石柱一対が建てられました。同年末、新館左右両翼の拡張工事が竣工(第一期拡張工事)。博物館業務の拡大により、従来の組織の規模と人員では実際の需要に対応できなくなったため、1968年に組織規程を改正し、古物と書画の二組を器物、書画、図書文献の三処、及び展覧、出版、登記の三組に拡大し、改めて文物の点検と整理、登録を行い、その他の学術機関と交流活動を展開しました。同年、故宮図書館を一般に開放。1970年、科学保管技術室が増設され、当博物院の組織は、これでほぼ整うことになり、1971年には当博物院新館両翼の拡張工事(第二期拡張工事)も竣工しました。

故宮博物院は、蒋復璁院長が在任した十八年の間に、二度の拡張工事と二度の改組、増編を経て、現代博物館の規模を有するまでに発展しました。博物館関連の全ての業務を次々に展開し、更にさまざまな定期刊行物・専門書・目録・掛け軸・巻物などを前後して出版したほか、スタッフを海外に派遣して養成訓練や視察、国際学術活動への参加などを積極的に取り組みました。1970年には大阪で行われた「万国博覧会」に参加し、「中国古画フォーラム」を主催し、大きな反響を呼び、更に当博物院の名声を世界に広めることになりました。更に新世代の研究スタッフを育成し、故宮研究員の文物に対する豊かな学識素養を伝承するため、国立台湾大学歴史研究所(大学院)に於ける中国芸術史組の増設(1971)に協力し、台湾芸術史の研究に確固たる礎を築きました。また、中華民国の歴史編纂の任務を遂行するため、1978年国史館と共同で「清史稿」の校注を行い、十二年後に国史館より「清史稿校注」が出版されました。

新旧の架け橋 世界の舞台へ
1983年1月、蒋復璁氏が病のため院長を辞し、代わって秦孝儀(1921-2007)氏が院長に就任。秦院長は故宮管理委員会の委員を多年にわたって務め、故宮の業務を熟知しており、院長就任より「故宮文物月刊」、「故宮学術季刊」の発行や、台湾商務印書館と共同で当博物院所蔵文淵閣「四庫全書」の出版、日本の華僑、林宗毅(1923-2007)氏による朱熹の書「易繋辞」の寄贈の受け入れ、「摩耶精舎」寄贈の受け入れ、「限提限展」(文物の持ち出しと展示の制限)制度の確立などを積極的に行い、数々の実績を収めました。翌年(1984)、故宮第三期拡張工事が竣工し、新しい行政ビルが使用に供され、文物保管庫の保管スペースと環境が大幅に改善されたほか、展示室も更に拡張され、恒温、恒湿、防火、防潮、防振および二十四時間体制の安全な管理システムが確立されました。

1985年、「華夏文化と世界文化の関係」の序論展示コーナーを開設し、参観客の東西文化への理解を深めてもらう外、科学技術を取り入れて、マルチメディア放映室を設置。更に創立六十周年を記念し、一連の学術活動を開催しました。秦院長は、博物館が担う社会教育の任務に対し、極めて重視していたため、当時は毎日近隣の台北県市の500人の小中学生向けに展覧組によるツアーガイドを行っていたほか、「活動と創意」児童教室、および「文物研修会」も催しました。更に秦院長は革新と質の向上を追求する態度で物事に取り組み、ファインカルチャーの向上に向け、古典的なムードが漂う「三希堂」茶館を設け、芸術と生活の結合を図り、本館西側下方に宋明庭園に倣った「至善園」、東側のスロープわきには「至徳園」を建設。更に本館右手の地形が不完全な土地に「後楽園」を造り、本館展示室の天上にあたる部分に中庭の景観を設け、参観者の憩いの場所を増やしました。

1987年、「国立故宮博物院組織条例」が総統の命により公布・施行され、故宮博物院の院長は行政院により任命されることになりました。1989年7月、再び文物の総点検を行い、1991年5月に完了。同年、行政院は国立故宮博物院の「管理委員会」に代わる「指導委員」を設置。1995年には、第四期拡張工事を経て図書文献ビルが落成し、現代的な明るく広々とした図書館のほかに、約400坪の展覧ホールが完成し、借用展業務の積極的な企画が可能になりました。図書文献ビルの落成当日に「ルーブル美術館珍蔵名画展」がスタートし、仏ルーブル美術館(Musee du Louvre)の十六~十七世紀の71点の風景名画が展示され、数多くの参観者を集め、大きな話題を呼びました。同年末、国内の玉器コレクターとの提携により「群玉別蔵」特別展を開催し、中国語・英語・日本語の音声ガイドサービスをスタートさせました。その後、「彫塑別蔵」(1997)、「伝奇の美:西洋絵画と彫塑」、「ピカソの世界」(1998)、「三星堆の伝奇」と「漢代文物大展」(1999)などの特別展を相次いで開催し、国内外、および中国大陸の文物を展示するほか、国際舞台へと邁進しました。1996年三月、米メトロポリタン博物館の要請を受け、「中華瑰宝:国立故宮博物院の珍蔵」と題し、当博物院所蔵の452点(組)の精選文物が同国の四大都市で巡回展示されました。また、1998年10月、パリのグラン・パレ国立美術館で「帝国の追憶:国立故宮博物院瑰宝展」が開催され、当博物院の選りすぐりの344点(組)の文物が展示されました。更に1999年一月には、中米友好七カ国の要請により、精良なレプリカによる「故宮精美文物展」が中米で巡回展が行われました。

本土意識 ニュートレンド
2000年5月、中央研究院のアカデミー会員である杜正勝氏が院長に就任し、本土文化の具体化と台湾意識の強化を以て、故宮博物院を経営しました。2003年、杜院長の主導の下で、「フォルモサ-十七世紀の台湾・オランダ・東南アジア特別展」を開催し、人々の熱烈な討論が巻き起こりました。杜院長は歴史学者です。これまでの材質の分類による展示方法を編年に改めることを展示企画担当者に要求し、本館の動線工事と展示室の全面改装(第五期拡張工事)を機に、所蔵各文物を「八千年の歴史を物語る長河」として構築しました。その結果「文明の曙光-新石器時代」、「古典文明-銅器時代」、「古典から伝統-秦~漢」、「繋がりと融合-六朝・隋・唐」、「新典範の確立-宋~元」、「装飾の新時代-明代前期の官営工房」、「官民競争の時代-明晩期」、「盛世の工芸-清康熙、雍正、乾隆」、「現代に向かって-清晩期」などの編年による常設展が設けられたのです。
 
杜院長は企業経営理念と経営モデルを導入し、「文物芸術発展基金収支管理及運用方法」を定めるとともに、「故宮の友」と「故宮アイデンティティーカード」などの発行も手掛けました。

副院長を四年間務めた石守謙氏が2005年に院長に就任。石守謙氏は、副院長時代に杜院長を補佐し、学術研究の推進や定期的な小規模フォーラムの開催などに取り組んできました。また石守謙氏は台湾大学芸術史研究所(大学院)の創設者であり、専門は絵画研究で、当博物院の三処合同による大規模展覧会「ハーンの世紀-蒙元時代の多元文化と芸術展」(2001)では自らが陣頭指揮を執り、同展覧に合わせて「蒙元学術フォーラム」も開催しました。その二年後に「乾隆皇帝の文化大業展」を企画。更に故宮八十周年には「大観-北宋書画・北宋汝窯・宋版図書特別展」を企画し、同時に「典範の確立-北宋の芸術と文化」と題した国際学術フォーラムを開催。この特別展とフォーラムは、当時の博物館と中国芸術史学界における一大イベントとして注目されました。このほか、石院長は海外の一流博物館にすべて高級レストランが附設されていることに鑑み、従業員レストランのあった用地にBOT方式でレストランを建設。このレストランこそ、2008年6月にオープンした「故宮晶華」なのです。

2006年、行政院の改組に伴い、林曼麗女史が院長に就任。「トレンディ故宮」を全力で推進し、「Old is New」のテーマの下で、故宮グッズの研究開発とブランドの授権を通じ、故宮は内外の著名なブランド、例えば、日本のサンリオ、イタリアのAlessi、台湾のフランツ、義美食品などと提携しました。

専業に戻り、新局面を創造
2008年5月20日、政権交替により、周功鑫氏が故宮博物院の院長に就任。就任以前、周院長は当博物院に27年間在職し、蒋院長と秦院長の二人の秘書と展覧組の組長を十六年務めた経験を有しています。当博物院を離任してから、輔仁大学博物館研究所(大学院)を創設し、経験豊富な博物館専門家でもあります。院長に就任した後は、同僚と力を合わせて、収蔵・研究・展覧・教育・保存など、博物館の基本的な機能レベルの向上に努めるとともに、組織の再生と人力の調整を機に、当博物院に新たな専業の経営を導入し、同時に「収蔵の新しい活力と故宮の新しい価値を創造」の目標に向かい邁進しております。

一年余り、当博物院は文物の徴集と大掛かりな点検・世界および両岸との交流を推進し観光発展を拡大・文化創意産業パークの企画・文化創意の一連の活動・幅広い年齢層の文物愛好者や若者参加者を養成し展示ロビーを改善して展示場スペースの効果をアップ・故宮博物院南部院の設立に力を注ぐなど、ソフト、ハード面にかかわらず、すでに相当な成果を収めています。同時にまた企業管理と異業者と提携する経営理念により、外在する資源を結合し、活発で多様化した発展空間のある故宮を作り上げています。

2008年12月、行政院は「両岸故宮」とする重要な興利政策を決定。政府の両岸関係の正常化推進に歩調を合わせるため、当博物院は積極的に中国の規模の大規模な博物館-北京故宮博物院、上海博物館、南京博物院、瀋陽博物院などとの交流を進めており、多項目に亙り、交流の共同認識に達成しております。更に常態的な合作のメカニズムを確立し、将来の対等交流のための厚い基礎を築いております。

文化創意が待ち望む知識経済の潮流の中にあって、当博物院は積極的に「故宮文化創意產業園区」の建設準備に取り掛かっており、手厚い文化資產と世界的に知名度の高い優れた條件により、故宮の経営を內外文化創意產業集落となし、また文化創意の一連の活動を通じて、潜在力を有するデザインチームを招聘し、文化創意課程を開講し、民衆に精緻で深みを持つ故宮の現代設計製品作りを体験してもらうのです。

このほか、当博物院はブランド品の授権方式により、メーカーに創意を発揮してもらい、幅広い範囲の商品を創造し、世界に向けて販売しており、今や「故宮文化創意産業園区」は全世界の文化創意産業の重鎮となっています。故宮では目下、故宮の側の国家安全局衛勤管理学校用地を取得し、園区準備計画の推進に沿い、2009年から第一回「文創産業發展研習キャンプ」を行い、博物館から派生した商品のメーカーなど、文化創意産業に関連ある研究開発デザインチームを選りすぐり、美学の感知、文化の創意、故宮文物、およびディジタル付加価値の応用などの研修活動やインタラクティブコースを企画し、故宮の資源や教育訓練の場所を提供。同時に当博物院の商品開発に関連するメカニズムと品質管理を導入し、この機を借りて、長期的に訓練養成し、博物館関連産業の品質と内容を向上すると同時に故宮と文化創意産業間の提携と販売モデル確立を帰しています。

博物館教育機能発揮の面に於いて当博物院は、年齢やそれぞれの嗜好に合わせた教育活動を行っております。例えば、一般人のための定時ガイドと文物演習・児童のためには学芸センターを設立・教師のための種子教師演習・館校合作で行うボランティアの養成・若者たちの志向に基づいて行われている「Young Peopleと故宮のコラボ-故宮週末の夜」・台北以外の県市や離島の人々のための複製品巡迴展などがあります。また当博物院内の施設を上手に活用した精彩を放つ展覧と教育活動は、「故宮夜宴」と題して三希堂で行われています。また文物鑑賞と芸術の上演は文会堂で、「故宮新韻」と題して伝統の戯曲などが上演されています。このほか、コンピュータ科学技術、および故宮U化計画は博物館の囲いを突破して、故宮の精美な文物や教育資源が人の群に入り込み、群衆の生活に近づきます。

周院長は就任後、積極的に故宮博物院南部院区の建設計画を推進していますが、唯一元々の推進計画が妥当でなく、また本件の管理顧問や景観顧問、建築顧問などの契約解除や終了など、大きな事情の変化があった事に加えて、88台風災害の影響などがあり、これらの問題を全て解決した後、行政院で幾度も会議が開かれ、検討されて結果、98年12月17日に結論が出て、続けている準備計画を2期に分けて行うことになりました。第1期の博物館館区主体建築と関連工事は由內政部営建署が請け負います。

2009年は、延べ250万人の参観者を越えました。参観者の方々に、より快適な展覧と接待の空間、楽しい参観環境と経験を提供するため、当博物院は目下、向かい側の「故宮文化創意産業園区」預定地と有機的な結びつきを図るべく、「第六期拡張建設計画」の可能性を模索しております。故宮は時代の脈動と結合し、伝統の中に湧き出る水の源を捜し求めると同時に、専門の立場から新局面を切り開いて行くのです。

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項目符號 現行の組織体制と業務内容


原「国立故宮博物院組織条例」が1986年12月31日に制定され、1987年1月16日に施行されてから既に20余年が経過した。このため、政府の組織改造と簡素化の原則に則り、および今後の業務の発展に鑑み、当博物院の組織条例を「故宮博物院組織法」と改め、全文を改正。総統による2008年1月16日華総一義字第09700003961号令の公布を受け、「旧国立北平故宮博物院および国立中央博物院籌備処の歴代古文物および美術品の整理、保管、展示、並びに古代中国文物と美術品の収集、研究、普及活動により社会的な教育効果を高める」を設置の主旨とし、引き続き行政院に隷属することとなった。

一、組織

本院組織法および処務規則の規定により、院長一名、副院長二名、主任秘書一名を置き、その下に器物処、書画処、図書文献処、登録保存処、文創行銷処、教育展資処、南院処、安全管理室、秘書室、人事室、会計室、政風室の計7処の5室を設置し、これら12の部門が故宮博物院の各種業務を担う。

【組織図】

院  長
副 院 長
主任秘書
参  事
器物処
書画処
図書文献処
登録保存処
文創行銷処
教育展資処
南院処
安全管理室
秘書室
人事室
会計室
政風室

 

部門
職階
氏名
器物処
処長
蔡玫芬
書画処
処長
何伝馨
図書文献処
代処長
宋兆霖
登録保存処
処長
嵇若昕
文創行銷処
処長
蘇文憲
教育展資処
処長
林国平
南院処
処長
林振丰
安全管理室
主任
林厚宇
秘書室
主任
王芸芬
人事室
主任
陳明忠
会計室
主任
周文炳
政風室
主任
黄宣政


 

二、業務内容

内部各部門の分業(職掌)を定めるため、本院では処務規則を制定し、行政院の審査決定を経て、2008年3月13日に公布施行された、2009年11月2日に修正案が公布施行された。各部門の業務内容は以下の通りである。

(一)器物処の掌理事項
一、所蔵する器物の保存、管理、研究、目録の作成。
二、所蔵する器物の展覧の企画、展示および関連図録、出版物の著述と編纂。
三、所蔵する器物の国内外に於ける学術交流。
四、所蔵する器物の徴集計画の策定と執行。
五、その他所蔵する器物に関する事項。


(二)書画処の掌理事項
一、所蔵する書画の保存、管理、研究、目録の作成。
二、所蔵する書画の展覧の企画、展示および関連図録、出版物の著述と編纂。
三、所蔵する書画の国内外に於ける学術交流。
四、所蔵する書画の徴集計画の策定と執行。
五、その他所蔵する書画に関する事項。


(三)図書文献処の掌理事項
一、所蔵する図書文献の保存、管理、研究、目録の作成。
二、所蔵する図書文献の展覧の企画、展示および関連図録、出版物の著述と編纂。
三、所蔵する図書文献の国内外に於ける学術交流。
四、所蔵する図書文献の徴集計画の策定と執行。
五、その他所蔵する図書文献に関する事項。

  図書文献館閲覧室のようす  
図書文献館閲覧室のようす


(四)登録保存処の掌理事項

一、本院所蔵品の登録および収集作業。
二、本院所蔵品の予防保存及び科学的研究。
三、本院所蔵品の修復と保護。
四、その他所蔵品の登録・保存に関する事項。


(五)文創行鎖処の掌理事項

一、本院出版物の発行、知的財産権の管理、授権および権利侵害の救済。
二、本院所蔵品を活用した二次利用、二次創作とそれら商品の管理と販売。
三、本院所蔵品の図像、院内外の風景とイベントの撮影に関する業務の執行と管理。
四、故宮文物芸術発展基金に関する業務の執行と管理。
五、その他出版物と二次創作物の販売・管理に関する事項。


(六)教育展資処の掌理事項

一、教育推進活動、観覧者へのサービスの企画と執行、ボランティアの訓練と管理。
二、本院と展示スペースに関する企画・設計および関連設備の維持と管理。
三、情報業務に関するソフト・ハード設備の研究、企画、維持と管理。
四、インターネットサービスの企画、設置、管理、維持、推進活動。
五、その他教育推進活動および展示、情報に関する事項。

  陳列室(大ロビー)  
陳列室(大ロビー)


(七)南院処の掌理事項

一、南院文物の保存、管理、研究、出版、展覧。
二、南院文物の保存、維持と収集。
三、南院に於ける教育推進活動、観覧者へのサービスの企画と執行、ボランティアの訓練と管理。
四、南院全体の営業・行政管理、修繕計画と執行。
五、その他南院に関する事項。


(八)安全管理室の掌理事項

一、本院の安全と防災、救急業務の企画、執行、管理。
二、本院の安全業務に関する訓練と管理、監督指導と審査、所轄警察署との連絡。
三、本院の安全管理設備の維持と管理。
四、その他安全管理に関する事項。


(九)秘書室の掌理事項

一、文書、印判、出納、修繕、調達、庶務、財産管理、研究考察、法制業務および外部への対応。
二、その他各処、室の職掌に属さない事項。


(十)人事室は当博物院の人事業務を掌理。


(十一)会計室は当博物院の歳計、会計および統計業務を掌理。


(十二)政風室は当博物院の政風(行政倫理)業務を掌理。


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項目符號 敷地内の庭園


民国54年(1965)8月、台北市外双渓に新館が完成、題署は蒋中正総統の手により書かれ、国父・孫中山先生を記念したものである。同年11月12日、正式に開園した。

  至善園 蘭亭  
至善園 蘭亭

本館は四階建ての中国宮殿風の建築様式で、組み重ねられた斗拱に緑の瓦と黄色の棟が荘厳且つ華麗な趣を呈している。1967年と1969年に二度の拡張工事が実施され、1985年には展示スペースの改築工事も行われた。2004年7月に始まった改善工事は2007年12月に完工し、現在は一~三階が展示スペース、四階は喫茶が楽しめる「三希堂」となっている。
 
敷地内左側にある「至善園」は民国73年(1984)に着工した。園内は中国の伝統的園林の理念が生かされ、絵のように美しい楼台、風情ある庭石、小さな橋のかかった小川、曲りくねる小道と池、素朴でゆったりとした趣に満ちている。亭台の梁と柱には先達の法書(聯句)が彫刻されており、味わい深い書が庭園散策の楽しみをより豊かなものにしてくれる。

  張大千先生の書斎  
張大千先生の書斎

敷地内右側の小面積の土地には無料開放している庭園─「至徳園」がある。園内には丸い橋と池、小さな東屋がある。毎年秋になると涼やかな夜の空気に花の香が漂い、人を惹きつけずにはおかない、なかなか忘れ難い趣がある。
 
さらに付け加えると、民国72年(1983)5月、張大千先生のご家族より張先生が生前暮らしておられた「摩耶精舎」が寄贈されたため、故宮博物院では「張大千紀念館」を設立し、参観申請者に公開を始めた。二つの川の流れ近くにある紀念館は樹木が生い茂り、鳥のさえずりが響いている。書斎には張先生の蝋人形があり、幽静な情緒をより味わい深いものにしている。

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