故宮博物院簡史 | 現行の組織体制と業務内容 | 敷地内の庭園
故宮博物院簡史
故宮博物院の始まり
故宮博物院が所蔵する中華歴代の国宝級文物の起源は、宋、元、明、清─四つの宮廷に遡ることができ、極めて豊かな文物コレクションとなっています。中華民国が建国された頃、これらの宮廷秘蔵のコレクションは、全て紫禁城内に保管されていました。しかし、清朝皇帝が城内に止まっていた頃に、溥儀が家臣などへ賞賜や貸与したり、競売にかけられたり、盗売されるなど、失われた文物は数え切れません。 1914年、政府は前代清朝の熱河避暑山荘と瀋陽故宮の文物を紫禁城外廷に移送し、「古物陳列所」を設立して一般に開放しました。1924年、溥儀は紫禁城を追われ、政府は「清室善後委員会」を設立し、宮廷所蔵の文物の整理にあたらせました。1925年の双十国慶節(10月10日)に故宮博物院が成立。この時から、歴代皇室と宮廷所蔵の貴重な品は、全人類の文化遺産として永く後世に伝えられることとなり、世の人全てが自由に宮廷に入って中華文明の宝物を鑑賞できるようになったのです。 故宮博物院成立当初は、委員会が方策の決定や監察機構を兼ね、その下に理事会があり、古物と図書二館、及び総務処に分かれていました。月日は流れ、政局は変化を繰り返し、故宮は維持員、保管委員会、維持会、管理委員会などの管理を経ました。 1928年6月、「北伐」を進める国民革命軍が北京に入り、国民政府派・易培基が故宮博物院を接収し、「故宮博物院組織法」を公布、故宮とそれに属する各部所の建築物、古物、図書、档案(公文書)の保管、それらの開放と普及などを管理し、その下に古物、図書、文献三館と秘書、総務二処が置かれました。続いて「故宮博物院理事会条例」を公布しました。1929年2月、易培基氏が院長に任命され、易氏は文物の点検と整理、目録編集作業を続け、陳列室を増やして展示内容の拡充を図り、出版による普及宣伝活動を強化しました。
文物の南遷
1932年7月、熱河に侵攻した日本軍が華北を窺がっていた頃、故宮理事会は文物の安全な保管のために所蔵文物の名品を選出して箱に詰め、いつでも移送できるように備えました。1933年2月、華北の情勢は急を告げ、第一陣の文物が南遷して上海へ運ばれ、5月まで安置されました。計5回に渡って南方へ移送された文物は19557箱、古物陳列所、頤和園、国子監などの文物6066箱も含まれていました。1934年2月、国民政府は「国立北平故宮博物院暫行組織条例」を公布、故宮は行政院の管轄となり、馬衡為氏が院長に任命され、その間に移送文物と残される文物の数量などの点検が行われました。1935年、1000点あまりの文物を選んで英国のロンドンで開催された「中国芸術国際展覧会」に出品しました。 1936年12月、19557箱の文物が上海から南京朝天宮に運ばれました。翌年1月、故宮博物院南京分院が設立。8月、日本軍が上海で争いを引き起こし、南京の情勢は急を告げ、荘尚厳氏は第一陣である80箱の文物を西方の長沙へ移し、その後、貴陽と安順に暫定的に安置されました(1944年の秋、貴陽も危なくなり、また四川省の巴県へ移送。)。1937年11月、淞滬会戦が勃発、政府は文物を重慶に移すことを決定し、第二陣の南京文物を水路で運び出し、長江、漢口、宜昌、重慶、更に西の楽山へと搬送しました。第三陣は隴海鉄道で宝鶏へ運び、そこからトラックで漢中を経て成都へ運び、その後、峨眉に安置されました。この時、文物はようやく一息つくことができたのです。1940年から1941年には、モスクワとレニングラードで開催された「中国芸術展覧会」で選りすぐりの100点が展示されました。 危険な事態に面して、北平古物陳列所の名品も故宮文物の南遷に従いました。1933年に南京で「中央博物院籌備処」が設立され、南京が危険になると、また水路で西へ運ばれ、四川省の南渓に暫定的に保管されました。中央博物院籌備処の職員は、戦乱の中にあっても川康民族や伝統的な手工業、西北の歴史と地理、彭山漢墓などの調査や発掘作業を進めました。台湾へ文物が移送されてから、「中央博物院籌備処」と「故宮博物院」が合併され、現在の故宮博物院となったのです。 1945年、日本軍が降伏し、政府は日本による教育機関を次に本来の機関に戻し、故宮博物院もまた復旧を始め、巴県、峨眉、楽山の文物が続と重慶に運ばれました。1947年6月、故宮の文物は重慶から水路で南京に運ばれ、12月には残らず移送されて、復旧作業も一段落しました。
海を越えて台湾へ
1948年、国共内戦の形勢が逆転し、故宮の常務理事会は名品を選出して台湾へ移送することにし、三回に分けて計2972箱が同年2月に台湾に到着しました。また、中央研究院史語所、中央図書館、中央博物院の文物もそれとともに運び出されました。この頃、中共はすでに北平故宮博物院を管理しており、その後、全ての文物の搬出が不可能となりました。台湾に到着した2972箱の文物は、南遷文物の四分の一でしかありませんが、その多くが名品でした。 1949年、台湾に「国立中央博物院聯合管理処」が設立され、故宮博物院、中央図書館、中央博物院─三つの機関から台湾に移送された文物と職員を受け入れました。聯合管理処は教育部の管轄下に置かれて、杭立武氏が部長兼主任委員を務め、台中県霧峰郷北溝に庫房(倉庫)を建造する土地を探しました。1950年4月、北溝庫房が落成するとすぐに文物が搬入されました。国立中央博物院聯合管理処時代には、文物の抜き取り検査と「中華文物集成」の編集出版も行われました。 1955年、国立中央博物院聯合管理処は「中央運台文物連合管理処」に改組されてその下に故博、中博、電教、総務4組が置かれ、同年に電教組が廃止され、「国立故宮中央博物院連合管理処」に改組されました。1957年、北溝陳列室が正式に開放され、1961年5月、アメリカのワシントン、ニューヨーク、ボストン、シカゴ、サンフランシスコで、故宮文物の名品が一年をかけて巡回展示されました。
台北市外双渓の新館落成
1965年、行政院は「国立故宮博物院管理委員会臨時組織条例規程」を発布、王雲五氏が主任委員を務め、蒋復璁氏が院長に招聘されました。この頃、台北市外双渓に新館も完成し、「中山博物院」と命名され、国父生誕100年の記念日に開幕。1966年から「故宮博通訊」と「故宮季刊」の発行が始まりました。翌年、建物の左右両翼を拡張する第一期拡張工事が竣工しました。 1968年、故宮はまた業務上の必要から、古物と書画の二組を再編成して器物、書画、図書文献三処と展覧、登記二組とし、改めて文物の点検と整理、登録を行い、その他の学術機関とも交流活動を展開、その後また科学保管技術室が増設されました。1971年、専門家の協力を得て、台湾大学歴史研究所に芸術史研究所の前身である中国芸術史組が増設されました。また同年、第二期拡張工事が行われて竣工、新館両翼が前面に増築されました。 1983年、秦孝儀氏が院長となり、同年10月、摩耶精舎に張大千先生紀念館が設立されました。1984年、第三期拡張工事が行われ、新しく行政大楼が建設されました。正館の展示室も拡張され、倉庫と展示場の温度・湿度は管理され、合わせて火災や地震、盗難対策も完備し、正館に乾隆帝の養心殿西室書斎に倣った「三希堂」も設置されました。1985年、宋明庭園に倣った「至善園」が建造されました。 1987年、総統府は「国立故宮博物院組織条例」を発布して実施し、故宮院長は行政院によって任命され、三処、三組、六室が管轄下に置かれました。この間、秦院長は積極的に展示スペースの改善や学術研究の強化、博物館教育の普及に努めました。そして1989年から二年後に文物の総点検作業を終えました。1991年、行政院は国立故宮博物院「指導委員」をもとの「管理委員会」とし、業務に関する重要事項の討議や指導などにあたらせました。1995年、第四期拡張工事によって図書文献大楼が竣工。同年、「至徳園」も開園しました。1996年、アメリカのメトロポリタン博物館の招待を受け、アメリカの四大都市で「中華瑰宝展」が巡回展示されました。
故宮の新世紀
2000年に杜正勝氏が院長となってから、本院は学術研究を強化し、シンポジウムを開催するなどして、台湾と中国、及び各国の多元的な文化観の形成を促すなど、積極的に「故宮の新世紀」計画を進めてまいりました。
また、交通路の改善や展示スペース不足を解決するため、第五期正館拡張・改修工事計画を進め、故宮南部院区設立計画にも着手し、2001年には「故宮の新世紀」建設計画を立案して行政院に提出しました。この計画案は、展示スペースと館外の交通路、文物の保全、分院の設立に関するもので、21世紀における故宮の発展を描いた青写真です。計画案の一部である「故宮南部分院建設計画」は、2002年に「挑戦2008─国家発展重点計画」の「観光客倍増計画」に組み入れられ、「正館公共スペース、参観順路調整と周辺環境の改善工事及び正館建築物耐震補強工事」に関しては、2002年に実施予算が編成されました。
2004年5月、石守謙副院長が院長に就任した後は、国外の博物館との文化交流を促進し、世界規模での収蔵と借用展の開催を展開しました。また、故宮が全ての人にとっての文化遺産の宝庫となり、収蔵品の展示や研究、教育の効果を充分に発揮できるよう、正館の拡張・改修工事と故宮南部院区の建設準備も進められました。
同年5月から8月にかけて、「ドイツ芸術の百年─ドイツ芸術の黄金時代」と題した特別展を開催、10月に「法象の威儀─彭楷棟先生寄贈文物特別展」を開催、2005年10月にドイツ・ミュンヘン人類学博物館にて「モンゴル帝国─チンギス・ハーンとその時代」特別展を開催しました。また、社会との相互コミュニケーションも活性化され、2004年7月、故宮正面広場にて映画した「十面埋伏(邦題/Lovers)は、多くの映画ファンを引き付け、故宮と人々との距離を縮めることができました。上映に合わせてチャリティー販売も行われ、売り上げは全て七二水害の被災民に寄付し、台湾博物館界においては初の「民間との協力」というモデルケースを成功させたのです。
この他、故宮の新しいミュージアムグッズを積極的に開発し、販売ルートを開拓することで、文物に付加価値を与えることに成功しました。一つ目のブランド授権案は公開入札と審査を行い、2005年5月に業者と正式に契約を結び、国内外のルートで販売を開始しました。同年6月、台湾中小企業銀行と提携して世界初となる博物館のジョイントカード「故宮之友VISAプラチナ・ジョイントカード」を発行、カード所有者は国内外の十大博物館を無料参観できるとしたことから、故宮之友ジョイントカードの国際化成功への第一歩となりました。10月には「Old is New新しい時代の故宮」と題したイメージ広告の記者会見を開いて関連の活動を進め、故宮の新しいイメージを広めました。
2006年1月、林曼麗副院長が院長に就任し、観念上の改革、展示企画や展示方法の強化を推進しました。「文物の収蔵、修復と保全、研究」を中心とした伝統的な思考方法から脱却し、「人」を主体として、文物と触れ合うことができるフレンドリーな環境と展示スペースの構築を進めました。
例えば、故宮南院─アジア博物館が2011年に開館するため、故宮博物院運営にとって、国際交流は大切な課題の一つです。2006年6月、林院長はフランスのケ・ブランリー美術館開幕の祝賀式典に故宮を代表して出席しました。アフリカ、アメリカ、アジア、太平洋諸国の原始美術を主に展示するこの美術館は、多元的な文化との対話の重要性をその設立趣旨としており、現在、故宮が建設準備を進めているアジア博物館の理念と図らずも一致しています。
この時期、故宮は他国の博物館と相互の協力関係を築いただけではなく、相互に借用展を開催することで、展示内容をより豊かなものにしました。2006年4月、フランスのギメ東洋美術館で開催された「中国宮廷の輝ける歳月」特別展の展示作品には、故宮所蔵の郎世寧「清院本親蚕図」と「山水画」などの名画も含まれました。同年12月に開催された「大観─北宋書画、汝窯、宋版図書特別展」では、故宮の所蔵品の他、アメリカ、日本、英国などの博物館の所蔵品も借用展示されました。2007年2月には、大英博物館とも協力して、「世界文明の宝─大英博物館250年のコレクション」を開催、台湾の人にはるばる海を越えることなく世界各国の宝物を鑑賞する機会を提供しました。
この特別展がかつてない成功をおさめた後、故宮は更に歩を進めて同年10月20日、「華麗なるバロック」特別展を開催、オーストリア・ウィーンの芸術史博物館の最も貴重なコレクションであるハプスブルグ家旧蔵の名画─レンブラント、ルーベンス、ベラスケスなどの巨匠の傑作を展示しています。歴史上名高い「神聖ローマ帝国」、「オスマン帝国」の国王が所蔵していた貴重な美術品の数々─ヨーロッパ美術の極みを鑑賞する機会を年越しの饗宴として提供するものです。以上の活動は、東西の文化交流の良い手本ともなるでしょう。
これらの他、故宮は積極的にいくつかの活動を推進して成功をおさめています。ご参観の皆さまとの距離を縮め、台湾と国外からのお客さまに、以前とは異なるより多元的な故宮を体験していただいております。例えば、2007年7月、創立以来、初めて毎週土曜日の夜間も開館し、合わせて音楽会も開催しています。この他、「創意工房─クリエイティブ・ワークショップ」、「故宮中秋夜」、「イタリア芸術節」などの活動も行っています。いずれも好評を得ており、故宮にこれまでとは違う斬新な動きが生じています。
現代の博物館は一つの時代の流れと結び付き、研究成果やコレクション、その他の資源を充分に活用し、参観者へのサービスを核心的な理念とする現代の文化機構であらねばなりません。故宮は1965年に台北市外双渓に新館が開館して以来、すでに5回もの増改築工事を経ており、2007年2月、正館の拡張・改修工事が竣工し、新しい展示も始まりました。ご参観の皆さまには、親しみやすさを増して人間的になった故宮をより強く感じていただけるでしょう。将来、故宮博物院はじょじょに新しい姿を現し、更には世界の博物館界における中心的な存在となることでしょう。
現行の組織体制と業務内容
原「国立故宮博物院組織条例」が1986年12月31日に制定され、1987年1月16日に施行されてから既に20余年が経過した。このため、政府の組織改造と簡素化の原則に則り、および今後の業務の発展に鑑み、当博物院の組織条例を「故宮博物院組織法」と改め、全文を改正。総統による2008年1月16日華総一義字第09700003961号令の公布を受け、「旧国立北平故宮博物院および国立中央博物院籌備処の歴代古文物および美術品の整理、保管、展示、並びに古代中国文物と美術品の収集、研究、普及活動により社会的な教育効果を高める」を設置の主旨とし、引き続き行政院に隷属することとなった。
一、組織
本院組織法および処務規則の規定により、院長一名、副院長二名、主任秘書一名を置き、その下に器物処、書画処、図書文献処、登録保存処、文創行銷処、教育展資処、安全管理処、南院処、秘書室、人事室、会計室、政風室の計8処の4室を設置し、これら12の部門が故宮博物院の各種業務を担う。
【組織図】
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部門
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職階
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氏名
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器物処
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処長
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蔡玫芬
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書画処
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処長
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何伝馨
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図書文献処
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処長
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李天鳴 |
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登録保存処
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処長
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嵇若昕
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文創行銷処
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処長
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金士先
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教育展資処
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処長
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安全管理処
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処長
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南院処
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処長
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劉昌信
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秘書室
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主任
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蘇慶豊
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人事室
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主任
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呉進財
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会計室
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主任
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黄金声
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政風室
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主任
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陳德偉
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二、業務内容
内部各部門の分業(職掌)を定めるため、本院では処務規則を制定し、行政院の審査決定を経て、2008年3月13日に公布施行された、2009年11月2日に修正案が公布施行された。各部門の業務内容は以下の通りである。
(一)器物処の掌理事項 一、所蔵する器物の保存、管理、研究、目録の作成。 二、所蔵する器物の展覧の企画、展示および関連図録、出版物の著述と編纂。 三、所蔵する器物の国内外に於ける学術交流。 四、所蔵する器物の徴集計画の策定と執行。 五、その他所蔵する器物に関する事項。
(二)書画処の掌理事項 一、所蔵する書画の保存、管理、研究、目録の作成。 二、所蔵する書画の展覧の企画、展示および関連図録、出版物の著述と編纂。 三、所蔵する書画の国内外に於ける学術交流。 四、所蔵する書画の徴集計画の策定と執行。 五、その他所蔵する書画に関する事項。
(三)図書文献処の掌理事項 一、所蔵する図書文献の保存、管理、研究、目録の作成。 二、所蔵する図書文献の展覧の企画、展示および関連図録、出版物の著述と編纂。 三、所蔵する図書文献の国内外に於ける学術交流。 四、所蔵する図書文献の徴集計画の策定と執行。 五、その他所蔵する図書文献に関する事項。
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| 図書文献館閲覧室のようす |
(四)登録保存処の掌理事項 一、本院所蔵品の登録および収集作業。 二、本院所蔵品の予防保存及び科学的研究。 三、本院所蔵品の修復と保護。 四、その他所蔵品の登録・保存に関する事項。
(五)文創行鎖処の掌理事項 一、本院出版物の発行、知的財産権の管理、授権および権利侵害の救済。 二、本院所蔵品を活用した二次利用、二次創作とそれら商品の管理と販売。 三、本院所蔵品の図像、院内外の風景とイベントの撮影に関する業務の執行と管理。 四、故宮文物芸術発展基金に関する業務の執行と管理。 五、その他出版物と二次創作物の販売・管理に関する事項。
(六)教育展資処の掌理事項 一、教育推進活動、観覧者へのサービスの企画と執行、ボランティアの訓練と管理。 二、本院と展示スペースに関する企画・設計および関連設備の維持と管理。 三、情報業務に関するソフト・ハード設備の研究、企画、維持と管理。 四、インターネットサービスの企画、設置、管理、維持、推進活動。 五、その他教育推進活動および展示、情報に関する事項。
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| 陳列室(大ロビー) |
(七)安全管理処の掌理事項 一、本院の安全と防災、救急業務の企画、執行、管理。 二、本院の安全業務に関する訓練と管理、監督指導と審査、所轄警察署との連絡。 三、本院の安全管理設備の維持と管理。 四、その他安全管理に関する事項。
(八)南院処の掌理事項 一、南院文物の保存、管理、研究、出版、展覧。 二、南院文物の保存、維持と収集。 三、南院に於ける教育推進活動、観覧者へのサービスの企画と執行、ボランティアの訓練と管理。 四、南院全体の営業・行政管理、修繕計画と執行。 五、その他南院に関する事項。
(九)秘書室の掌理事項 一、文書、印判、出納、修繕、調達、庶務、財産管理、研究考察、法制業務および外部への対応。 二、その他各処、室の職掌に属さない事項。
(十)人事室は当博物院の人事業務を掌理。
(十一)会計室は当博物院の歳計、会計および統計業務を掌理。
(十二)政風室は当博物院の政風(行政倫理)業務を掌理。
敷地内の庭園
民国54年(1965)8月、台北市外双渓に新館が完成、題署は蒋中正総統の手により書かれ、国父・孫中山先生を記念したものである。同年11月12日、正式に開園した。
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| 至善園 蘭亭 |
本館は四階建ての中国宮殿風の建築様式で、組み重ねられた斗拱に緑の瓦と黄色の棟が荘厳且つ華麗な趣を呈している。1967年と1969年に二度の拡張工事が実施され、1985年には展示スペースの改築工事も行われた。2004年7月に始まった改善工事は2007年12月に完工し、現在は一~三階が展示スペース、四階は喫茶が楽しめる「三希堂」となっている。 敷地内左側にある「至善園」は民国73年(1984)に着工した。園内は中国の伝統的園林の理念が生かされ、絵のように美しい楼台、風情ある庭石、小さな橋のかかった小川、曲りくねる小道と池、素朴でゆったりとした趣に満ちている。亭台の梁と柱には先達の法書(聯句)が彫刻されており、味わい深い書が庭園散策の楽しみをより豊かなものにしてくれる。
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| 張大千先生の書斎 |
敷地内右側の小面積の土地には無料開放している庭園─「至徳園」がある。園内には丸い橋と池、小さな東屋がある。毎年秋になると涼やかな夜の空気に花の香が漂い、人を惹きつけずにはおかない、なかなか忘れ難い趣がある。 さらに付け加えると、民国72年(1983)5月、張大千先生のご家族より張先生が生前暮らしておられた「摩耶精舎」が寄贈されたため、故宮博物院では「張大千紀念館」を設立し、参観申請者に公開を始めた。二つの川の流れ近くにある紀念館は樹木が生い茂り、鳥のさえずりが響いている。書斎には張先生の蝋人形があり、幽静な情緒をより味わい深いものにしている。
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