國立故宮博物院 National Palace Museum
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爾雅
拡大図
 
 
宋    
爾雅
外寸(縦・横)28.5×20(cm)
版框(縦・横)23×16(cm)
 
晋 郭璞注
南宋 国子監本


「爾雅」は文字学に関する専書で、原著者が誰であるのか定論はない。宋代の邢昺による「爾雅注疏」の序文には、「周公倡之於前,子夏和之於後」とあるが、「四庫全書」には「書物となったのは毛享以降、小学家が古い文を綴り合わせたもので、周公や孔子は後人が付け加えた説である。」とあり、こちらの説の方が比較的信憑性が高い。五代の頃、唐石経をもとに儒家の経書群が刊刻され、九経の他、「孝経」、「論語」、「爾雅」、宋代の「孟子」も経書群に加えられ、このときに「十三経」が成立し、「爾雅」は経学研究において重要な書物の一つとなった。


五代に刊行された経書群は経の注釈のみで疏文がなく、それらはすでに散じてしまった。南北宋の頃、国子監が復刻したが、現存するものは極め少なく、現在知られているのは、完全本である本書の他、呉県黄氏の士礼居所蔵の「周礼」と昭文張氏の愛日精盧所蔵の「礼記」二種残巻のみで、本書はこの世にただ一つ残された書物であるのみならず、五代の刻書の様式を考証する際の重要な根拠となるものであり、その価値は極めて高い。南宋時代に国子監が刊行した経注本は、魏了翁によると、臨安府やその他の地域で本の木板が製作され、その後、国子監に送られて保存されたという。国子監が上梓したことになっているが、実際には臨安付近で作られたもので、本の木版が大きく開放的な感があり、字も硬貨のような大きさであるため、宋刻大字本とされている。


本書はもともと常熟の汲古閣─毛詩親子の旧蔵であったが、その後、清代、畢沅の経訓堂の所蔵となった。畢沅は江蘇鎮洋の人で、乾隆25年(1760)に状元となり、湖広総督を務めた。彼の死から2年後の嘉慶4年(1799)、湖広総督任官中の軍費濫用が発覚し、一族は全て免官となり家財は没収された。本書はその時に内廷に収蔵されたと思われる。
 
 
 
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