|
|
|
|
千字文書法展
|
|
時間:2009/07/01
~ 2009/09/25
|
| 会場:204, 206, 208 |
|
閲覧する
|
| |
千字文は、南朝梁武帝(464-549)が子供たちに手習いをさせるため、内府所蔵の王羲之(303-361)の書蹟から異なる一千文字を選び出し、命を受けた周興嗣(?-521)が文字を繋げて文にしたと伝えられ、四文字を一句とし、自然、社会、歴史、倫理などについて論じた文です。千字文は、古代における児童の啓蒙教育書の代表作であるばかりでなく、日常生活でも物品を整理するための番号としてよく用いられました。例えば、項元汴(1525-1590)が収蔵した書画には千字文を用いた収蔵番号が付けられています。
文学においても、千字文を模倣した創作の数々が誕生しました。各種各様の変体千字文が出現し、千字文の文が小説や戯曲に引用されるなど、その影響力の大きさを物語っています。王羲之の文字を集めた当初から智永(約510-約610)が臨模した800本を浙江東部の諸寺に施入するまで、千字文は書法(書道)の学習と密接に結び付いており、千字文が現れるとすぐさま書法を学ぶ人々から重視され、書法史に絶えず影響を与えてきました。文の長さが適切で一文字も重複がない上、誰もが親しめる普遍性も兼ね備えているため、書家や書を索(もと)む者が最初に選ぶ手本となり、長年に渡って数々の優れた作品を生み出してきました。
伝世の千字文の書蹟の中には、篆書、隷書、草書、行書、楷書のほか、複数の書体が混合した形式の作品もあります。例えば、智永「真草千字文」、俞和(1307-1382)「篆隷千文」、文徴明(1470-1559)「四体千文」などが挙げられます。千字文は大量に書写または臨模され、習字手本の主流となり、ほぼ全ての歴代名家が一度は書いたことがあるという現象から、これもまた書法史上に形成された独特の文化だといえるでしょう。
|
| |
| |
|
| |
|
メニューに戻る
|
|