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展示概要

仏教は紀元前三世紀よりアジア各地へ広がり、一世紀初葉、中国本土に伝来しました。チベット族はやや遅れて七世紀に仏教に触れることになります。チベット仏教は、その殆どはインド後期の大乗仏教(Mahāyāna Buddhism)の特色を踏襲していますが、また相当多くの中国仏教の内容も吸収しており、更に当地の原始宗教の風俗習慣も融合し、今のユニークな宗教体系を成しています。

チベット仏教は、各宗派共に「転生化身(チベット語=トゥルク)」の世系を伝承しており、漢人はこれを「活仏」と称しています。この伝統はインドや中国では見られず、チベットに於いても徐々に発展し形成されたものです。七世紀から九世紀までの「前弘期」仏教、または十世紀末に復興した「後弘期」仏教のいずれを問わず、チベット地区の寺院の座主は、全て師弟もしくは家族制を採用していました。十三世紀、カルマ・カギュ(Karma Kagyu)派は教派の座主を決める為、はじめに転生(Reincarnation)継承制度を採用しました。十五世紀から活仏制度が各派の間に受け入れられるようになり、今に至っても尚、チベット仏教の座主の主要な伝承方式となっています。

十五世紀にツォンカパ(Tsongkhapa、1357-1419)はゲルク派を創建し、初期には師弟伝承を、その後、転生継承制度も取り入れました。十六世紀末、モンゴル諸部は次々とゲルク派を主要な仏教信仰として受け入れると同時に、チベット語「トゥルク(Tulku)」をモンゴル語の「フビルガン(Khubilghan)」に訳しました。満族が東北から中国の中央部に入る前、モンゴル諸部はチベット仏教の影響を受け接触していたため、入関後は、更にゲルク派を扶植し、満族・モンゴル族・チベット族の共同の信仰としました。フビルガンの継承に対し、清朝は已に完全な政府認証制度を築いており、正式な冊封と定期的貢納を通して、ゲルク派によるモンゴル・チベット地区の政治・宗教事務を処理させたのです。

本特別展は、清代活仏に関連のある文物を展示しており、清朝政府とそれぞれ重要な活仏との間の相互関係を説明しながら、清朝宮廷におけるチベット仏教芸術の特色もご紹介致しております。

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