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展示概要

呉彬、字は文中または文仲、号は枝隠頭陀または枝隠生、福建莆田の人。生没年不詳。明代万暦朝(1573-1620)前後に活動しました。莆田で育った呉彬は、年少の頃から画芸で名を知られていました。長じてからは南京に活動の場を移し、住居を「枝隠庵」と名付けました。当時同じく南京で活動していた多くの名士たちと交流し、詩集も出版しましたが、残念なことにこの詩集はすでに失われてしまいました。仏教を信奉していた呉彬は、日々礼仏読経に勤しみ、神聖な仏事を執り行うように絵画の創作に取り組みました。万暦29年(1601)、呉彬は南京の棲霞寺のために五百羅漢図を描きました。万暦時代後期に北上して首都に赴き、画師として宮廷に仕えましたが、天啓2年(1621)頃以降の活動記録はほとんど残されていません。

画芸で名を馳せた呉彬は詩文にも優れ、深く仏法に帰依していました。明代晩期に活動した、様々な顔を持つ在家信者の画家で、奇怪で幻想的な画風で知られました。福建で育まれた呉彬の画風には、呉派の特色も取り入れられています。筆法を見ると、呉派ならではの秀麗かつ清雅な趣が感じられ、自由気ままに筆を操る、のびのびとした筆墨で閩浙(福建と浙江)の風情を表現しています。呉彬の山水画にしばしば登場する奇妙な形の山々は、非現実的な構造となっています。仏教人物画も一般的な容姿とは異なり、呉彬が追い求めた出世間の像が描かれています。花鳥画では、現実の姿形を超越した奇態にこだわりました。後人は「奇怪な姿」、「この世のものとは思えない」など、呉彬の新奇な画風を賞賛しました。

現代の研究によれば、呉彬の画風がどのようにして形成されたかについては、明代晩期における中西文化交流の視点からの考察があり、羅漢像は西洋人の容貌を参考にしたもので、山水画の造形は西洋の版画から材を得たとの指摘があります。このほか、仏教に帰依した呉彬の信仰生活に着目し、画中に見られる自由な表現方法を考察したものもあります。多くの画派が出現した明代晩期の画壇においては、突出した視覚効果を持つ呉彬独特の奇異な画風も時代の影に埋もれてしまったこともありましたが、20世紀初期に国立故宮博物院で所蔵作品が公開されると、再び注目されるようになりました。この度は、故宮が所蔵する呉彬の作品を精選して展示いたします。呉彬の想像力豊かで幻想的な絵画世界をじっくりとご堪能ください。