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主な図像_意 陳其寬90記念展
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陳其寬、1921年北京生まれ。幼少期にその父親が家庭教師を招き、その姉弟(きょうだい)に四書五経、そして書法を学ばせました。氏は篆隸楷行草のいずれをも学び、これによりその良い基礎が打ち立てられました。氏の青少年期は丁度日中戦争期にあたり、戦乱を経て、陳一家は国民政府と共に重慶へと移り、中央大学の建築学部へ入学しました。

1944年、氏は大学の卒業を待たずして、インド・ビルマ戦区へと召集され、翻訳官となりました。日中戦争の終了後、氏は南京へ戻り、職に就きましたが、1948年8月、留学のため赴美しました。1951年、氏はウォルタークロピウス(1883-1969)に招かれ、その建築事務所に勤め、同時にマサチューセッツ理工学院に推薦され、そこで教えることとなりました。1954年、I・M・ペイ(Ieoh Ming Pei、1917年生まれ。I・M・ペイと表紀されることが多いが、漢名は貝聿銘)に誘われ、東海大学のキャンパス共同開発企画に携わることとなりました。そして、ついに1960年9月、台湾に定住するようになり、東海大学で建築学部を開設し、また、独力でリュース紀念チャペルの設計、建造と監督をしました。これにより、氏は台湾と切っても切れない関係となりました。氏は建築と絵画の二つの領域において次々と功績をあげ、一世を風靡し、世の脚光を浴びました。

陳其寬は西洋の概念を以て伝統絵画を変革しようとし、「心眼」を以て三千大千世界を見抜くことを試みました。氏の絵は清新脫俗(せいしんだつぞく)であって、独自の風格を有しており、我々の自然に対する視覚的な理解を広げると共に、美に対する認識をも深めるものであって、実に素晴らしいものであります。2004年9月3日、氏は国家文化芸術基金会より第八回美術類《国家文芸奨》を受賞しました。その受賞理由は以下の通りであります。

1.建築家の美的感覚を備えていると同時に、抽象的な表現をも融合し、水墨の素材を用いることによっ
   て、新たな絵画芸術を創り出し、幻想的、建築的、超時空的、幽玄的、純粋的な幻想世界を表現しま
   した。その作品には創造力と自由的な特質に満ち溢れています。
2.追憶と虚構を融合し、更に現在という「新」への模索を加えることにより、その作品は放射的、並列
   的、多次元的な拡張状態を示し、芸術創作において実に独自性に満ち溢れています。
3.氏の絵画には装飾的な色彩、建築的なラインと幻想的な空間という要素を具えており、我々の身近な物
   事に対して新たな見方を啓発するものであります。その作風は啓発性と相乗効果に満ち溢れています。

上紀三点の受賞理由は陳其寬の生涯における絵画領域での功績を如実に物語っていると言えましょう。
* ──建築界の奇才
 
縁とは、不思議なめぐり合いである。


1949年、陳其寛は大学院を卒業すると同時に、スタンフォード市役所の設計で第1位を授賞。1956年には、米国『Architectural Forum』誌主催の「青年センター設計コンテストでも第1位を獲得しました。それは広い廊下で各部屋を囲んだ中国の園林のような建築物だと陳氏は語っています。建築界の奇才である陳氏は、西洋の観念と技術を中国的な要素に取り入れて新しい創造を生み出し、注目を集めました。そして、東海大学に招かれて帰国し、東海大学キャンパスとリュース紀念チャペルの設計監督を務め、台湾と強い縁を結んだのです。
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* ──戦火の足跡
 
紀憶とは、人生の一部であり、時に消し去ることのできないものとなる。


1944年、陳其寛氏は大学の卒業を待たずして、インド・ビルマ戦区へと召集され、翻訳官を務めました。陳氏はまず重慶を経て貴州へ行き、その後、雲南省昆明に到り、昆明にしばらく滞在した後、飛行機でインドのレドへ向かいました。陳氏はその途中で見聞きした事物を色鉛筆で紀録しました。これらの水彩画は今一つ精彩に欠けますが、陳氏にとってはどれも大切な思い出なのです。実際、戦火を潜り抜けたこの時代に陳氏は視野を広げ、この経験が後の画業に大きな影響をもたらしたのです。例えば、「旋回」に見られるように、多くの作品にこの当時の紀憶が反映されています。
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* ──この世に満ちる愛

情は、世の愛情の礎である。


陳其寛は独学で作画を学びました。陳氏は西洋の観念をもって伝統的な水墨画を変革しましたが、やはり毛筆、宜紙などの素材をこよなく愛しています。陳氏が水墨で描く野菜や果物、猿、豚、猫、鶴、魚などには、その形を通してこの世のあらゆる事物の姿が表現されています。伝統的なものが陳氏の手によって新しく生まれ変わり、陳氏の人間性─喜び、茶目っ気、ユーモア、純真さ、仏教的理念、情緒などが反映されています。これもまた陳氏が目にしてきた世間の縮図であり、その作品の精髄でもあります。
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* ──空間の境界

建築とは、空間に境界を生み出すことである。
そして境界には、虚と実が含まれる。


陳其寛氏は、早くも1950年代から建築原理を絵画に取り入れ始めました。陳氏は、円門、または六角形の門から見た風景をとりわけ好んで描き、それを一層ごとに押し広げ、虚実入り混じる空間の奥行きを表現しました。「空間には虚と実がある」と陳氏は述べました。しかし…
   人々はたいてい色のみを見て空を見ない
   形のある物のみを見て形の無い物を見ない
   実のみを見て虚を見ない
   実体のみを見て実体と実体の間にある空間を見ない
   建築物に気をとられ、建築物が作り出す空間─街を気にしない
   建築物のみを見て、その雰囲気に影響を与える環境に注意を払わない
                                       ──陳其寬
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* ──心の眼に映った風景

景とは、眼の中に映し出され、心の中に存在するものである。


伝統的な山水画は、自然の風景を写生して描くものではなく、昨日見た風景と今日の風景を混ぜ合わせて描きます。それと同じく、陳氏の描く水墨画も全て虚構の世界であり、心の眼で見た風景を描いた作品は、いずれも陳氏の心の中にある理想的な自由の天地なのです。陳氏の山水画は清新脱俗で安らかな境地にあり、細やかなタッチで描かれた万物と平和に共存する自然の美しい風景には、俗世の喧騒や争い、戦火から遠く離れた陳氏の心の内にある桃源郷が反映されています。陳氏は、これらの作品を通して世の人々に平和の大切さを訴えているのです。
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* ──旋回する宇宙

私たちはよく「太虚」という言葉で宇宙を表現する。


1980年代、陳其寛氏の作画はしだいにより高度な「宇宙」へと高められ、更に大きな次元の視野を切り開いたのです。陳氏は、太陽、月、星、朝晩などの「時空」をともに絵の中におさめ、天空に身を置き、地球を眺めているかのような世界を表現しました。これは陳氏の長年の経験の反映であり、「肉眼」から「物眼」を通し、それを更に「心眼」にまで拡大した合理的な発展でもあります。静態の山水を動態の宇宙へと変転させ、知識と感性を兼ね備えているのみならず、人々の絵画鑑賞の世界をも広げたのです。
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* ──精巧緻密な美しさ

版画とは、一種の工芸であり、一種の芸術でもある。


1955年、陳其寛氏は異なる芸術表現を試したく思い、米国留学中に版画を製作しました。その後何年もしてから、より多くの人々が陳氏の豊かな芸術を楽しめるように、ある人物から版画の製作を勧められました。これが長い間陳氏の心の内に秘められていた創作意欲に火をつけ、1997年、陳氏は石版画(リトグラフ)の製作のためにパリに向かいました。自らフランス人の職人に色の調整や石版の扱いなどを教え、その過程は複雑で苦労も多く、何十枚もの版を刷り重ねて色を出す過程は、全く異なるタイプの創作だと陳氏は語っています。しかし、精美かつ細緻な版画は、ついに陳氏の芸術に込められた精神を再現するに至ったのです。
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* ──構想を練る

建築には設計が必要である。
絵画には構想が必要である。

この両者には多くの共通点があります。陳氏にとっては、設計に思いをめぐらすのと画意を想像するのは少しも苦にならず、もしかしたら習性になっているのかもしれません。陳氏は絵を描く前にも構想を練りますが、手稿を見るとその一端が窺えます。手稿の一枚一枚に陳氏の熱意が感じられ、草稿の一枚一枚に創作の過程が見てとれます。これらの手稿には建築思想が現れており、絵画には建築の理性を超えたより大きな想像力が表現されています。
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